「こんなに違うの?」から始まった話

少し前に、「日本語って難しいよね」という話を、アメリカから来た人としていた。彼が日本語の「数え方」を勉強していたときで、「こんなに違うの?」と驚いていた。

たしかに、卵は一個、ペットボトルは一本、家は一軒、車は一台、人は一人。ここまではまだいい。けれど、魚は一尾、鳥は一羽、寿司は一貫、本は一冊、映画は一本となると、自分が彼の立場だったら、きっと頭を抱える。

もし「魚と寿司は違うの?」と聞かれたら、「違うんだよね」と答えながら、その理由をうまく説明できない気がする。結局のところ、私たちは「そういうもの」として覚えてきたのだと思う。生まれてからずっと会話の中で身につけてきたものだから、難しいとすら感じていなかった。

一方で英語はとてもシンプルだ。one person、one house、one car、one book。数字と名詞だけで、ほとんど通じる。「英語の数え方は簡単」と言われて、「たしかに」とうなずく。

ごはんの話になり、「一膳」という数え方をシェアすると少し戸惑っていたので、「まだ覚えなくていいよ」と伝えた。厳密さよりも、まず伝わること。それが言葉の出発点。

たとえば「このお菓子をMegちゃんに渡してほしい」という一文も、日本語だと自然と長くなるけれど、英語なら “gift for Meg” と差し出せば済む。「短い」「短いね」と笑いながら、英語は思考そのものをシンプルにしてくると感じた。

自分の語彙が少ないから、という側面もある。けれど、それ以上に「どうやったら短く伝えられるか」を、無意識に考えるようになる。

話し方の戦略』や『言葉を短くする技術』を読んでから、日本語でも話し言葉・書き言葉を問わず、一文を短くしようという意識は持ち始めていた。けれど、英語を話すご近所さんに囲まれる生活が始まり、日常的に英語を使うようになってから、その意識は明らかに強くなっている。

一文を短く切る。余計な言葉を足さない。その選択を、以前よりもずっと意識的に行うようになった。つい冗長になったときは、その場で振り返る。「どう言えばよかったか」と考え、ひとりで言い直す。

私の日本語は、気を抜くと長くなる。けれど、同じ日本語でも、シンプルに伝えている人は確かにいる。無駄がなくて、短くて、それでいて届く言葉。そういう話し言葉や文章に触れるたびに、自分はまだそこまで行けていないな、と思う。削ぎ落とせるはずなのに、まだ足してしまう。

だから今は、まだ道半ば。そう思いながら、一文を短くすることを、今日も意識している。

Text / 池田園子

【関連本】『話し方の戦略

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