さとゆみさんが、エッセイで書いていたことが、頭に残っている。朝日新聞が運営していたメディア「telling,」が閉鎖されたという話だ。そこに連載していた記事が、メディアの終了とともにすべて消えてしまった、と。
積み上げてきたものが、ある日まとめてなくなる。しかもそれは、自分の意思とは関係のないところで決まる。書いていた本人にとって、その喪失はとても大きい。
でも、少し引いて見てみると、これは特別な話でもないとも感じる。
ここ七、八年くらい、Webメディアは本当によく閉鎖している。そこにあった記事がごっそりなくなる。そんなことが、珍しくもなくなっている。私自身も、昔書いていた媒体リストを眺めると、いつの間にかなくなったものがいくつもある。連絡があったものも、なかったものも含めて。
もちろん、書いていた当時は原稿料をいただいている。対価として成立していた関係ではある。それでもやっぱり、「書いたものが消える」という事実は、どこか引っかかる。
メディアに載るということは、届ける力や影響力を借りることでもある。多くの人に読まれる機会を得る代わりに、残り方の主導権は手放している。記事がいつまで公開されるか、サイトはいつ運営終了するか。それを決めるのは、書いた自分ではない。
そう考えると、消えてしまうことは、預けた時点ですでに起こり得ることだったのだ。書いたものの行き先を、自分以外の誰かに委ねていた——そのことに、はっとする。

だからこそ、と思う。「自分で持っておく場所」って、いいな、と。
自分のメディアを持って、そこに書いていく。誰かの方針ではなく、自分の意思で残していく。ドメイン代とサーバー代で、年間一万円くらい。「残り方を自分で決められる」という意味では、とても小さなコストに感じる。
もちろん、外部のメディアに書くことが意味を失うわけではない。広く届けるには、その力が要る。ただ、それとは別に、「自分の言葉を、自分の責任で残しておく場所」をひとつ持っておく。届けることと、残すこと。その両方を、自分で選べるようにしておく。
消えない場所をひとつ持っておく。それはきっと、書く人にとっての、静かな保険のようなものなのだと思う。
Text / 池田園子
【関連本】『書く仕事がしたい』
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