フルーツナイフとして使っていた、丸っこいナイフが、ついに壊れてしまいました。刃と柄の部分が、すぽん、と分離してしまって。
それから、もう1週間が経ちます。
直して使おう、とは思っています。思ってはいるのですが、「適切な修理店を探す」「持っていく(もしくは発送する)」という慣れない工程が、どうしても生活の端っこに置き去りになります。
でも、このナイフは、簡単に手放せるものではありません。
18歳、高校を卒業して実家を出たときに、持ってきたものでした。
くすねてきた、というと言葉は悪いですが、まあ、勝手に持ってきました。
母も、そのことは知っています。
今年の5月で、私は40歳になります。
つまり、このナイフとは22年の付き合い。
実家にあった期間を含めると、もう30年くらいは、当たり前のようにそこに存在していたはずです。
木の柄の部分は、実はずっと前からグラグラしていました。
福岡に住んでいた頃には、もう怪しかったと思います。
でも、危なくなかったので、そのまま使っていました。
そういえば、2023年11月、福岡に住んでいた頃にも、このナイフのことを書いています。
当時の私は、「そろそろ買い替えたほうがいいのかな」と思いながらも、結局、そのまま使い続けていました。
理由は、明確。
「怖かった」のです。
最近のフルーツナイフは、よく切れる。よく切れすぎる。
そして、何より、尖っている。
そんな物を使えば、うっかり手を切る未来が、簡単に想像できてしまう。
その点、このナイフは尖っていません。
手を切る心配が、ないに等しい。

私は、フルーツの皮を丁寧に剥くことは、あまりしません。
たとえば、キウイは剥きますが、柿やりんごは、へたと種を取るくらい。
切れ味は、正直、今のままで十分です。
だから、この丸い刃のナイフを、これからも使い続けたい。
長年、手に馴染んだものを、直して使おうと思っています。
とはいえ、修理に出すまでの間、何か代わりになるものはないか。
包丁で代用したこともありますが、やっぱり怖い。
私にとっては、リスクが高い。
そこで、台所をゴソゴソ探していたら、発見しました。
以前、福岡から遊びに来てくれた方がくれたお土産、「手作り最中」についていた、小さなヘラ。
最中にあんこを詰めるためのツールです。
その形が、ナイフに似ている。
「これ、いけるかも?」
試しに使ったのは、朝食のバナナでした。
食パンに、バナナとはちみつときな粉をのせるために切ってみると、もう、ナイフそのもの。
切れる。
もちろん、怖くない。
「こんな代用ができるんだ」と、ちょっとうれしくなりました。

このヘラを取っておいた理由は、パンに何かを塗るときに使えそうとか、化粧品のスパチュラにもなりそうとか、そんな、日常的な発想からでした。
大正解。
もちろん、ナイフは修理に出します。
でも、それまでの間、このヘラで、暮らせそうです。
道具が壊れると、「どうするか」より先に、「なんで、これを使い続けてきたのか」が浮かび上がります。
切れ味ではなく、安心感。
新しさではなく、慣れ。
失った瞬間に初めて気づく、「すでに十分だった」という事実。
一本のナイフが壊れて、一枚のヘラが代わりになって、それでも、暮らしは続いていく。
なくても、なんとかなる。そして、やっぱり、すでに持っているもので足りている。
そんなことを、一本のナイフと、一枚のヘラから、教えてもらった朝。
Text / 池田園子
【関連本】『暮らしの図鑑 民藝と手仕事』
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