日曜日の昼、お鮨を食べに行った。きっかけは、前日の昼間だった。「お鮨、食べたくない?」とTaroがふっと聞いてきて、私はほとんど間を置かず、「食べたい」と答えた。お鮨と聞いて、迷う理由はない。Taroは「じゃあ明日のお昼に行こう」と言って、候補となる店を探してくれた。
今回選んだのは「京都四条河原町 かきだ」。オープン記念で、お鮨やおつまみがおかわり自由という、なんとも魅力的な条件付きのコース。「おかわり自由」に目がくらんで、ここを推した。食い意地は……張ってます。結果として、その選択は正しかったし、とてもいい食体験だった。

おつまみ5種、お鮨15種。一部だけ撮影
このお店、少し変わった成り立ちをしている。もともと人材業界で働いていた方が、趣味の釣りで魚をさばき、社員に海鮮丼を振る舞っていたら評判になり、有楽町に店を出したという。しかも、寿司職人としての修業は0日。従来のルートを通らずに、独学で開いたらしい。
そんな背景もあって、話としては十分おもしろいのだけれど、この日いちばん印象に残ったのは、そこではなかった。結局、欲張って4貫おかわりをした。食べすぎである。
Taroは終始ニコニコしていて、行く前も、食べたあとも「Sonoにご馳走できてうれしい」と言っていた。京都に来て、自分で事業を始めて、少しずつ軌道に乗ってきて。その中で得たお金で、こうしてお鮨を食べに来られたこと。そして何より、私にご馳走できたこと。それが、うれしいのだと。
それを見ていて、なんだかいい時間だな、と思った。きっと、その「うれしい」は特別なものじゃなくて、「一緒に美味しいものを食べたい」という気持ちや、「それを相手にも楽しんでほしい」という、ごく自然な感情なのだと思う。
ふと、世の中には「どちらがどれだけ払ったか」だけでなく、「自分の方が多く家事をしている」「今回は自分ばかりが動いている」といったように、日々のさまざまな場面を「損か得か」で測ってしまう関係もあるのだと思い出す。お金に限らず、時間や労力、気遣いまで含めて、「自分の方が多い」「相手の方が少ない」と数え始めると、関係は少しずつ窮屈になっていく。
そういう考え方があること自体は自然だし、誰もが一度は通る感覚なのかもしれない。ただ、私たちのあいだには、その物差しがほとんど存在しない。誰が何にいくら払ったかは記録しているのだけれど、どちらがどれだけ動いたかや、気を遣ったかまでは数えていないし、それをもとに関係を測ることもない。ただ、「一緒に食べたい」「喜んでほしい」という気持ちの延長で、ご馳走したり、されたりしている。
この日は、それがとてもよくわかる時間だった。「食べたいね」と言って、「じゃあ行こう」となって、「美味しいね」と言いながら食べて、それを見て、ふたりともニコニコ満たされている。それだけだった。こういう時間は、あとからじわじわ効いてくる。ああ、いい関係だな、と思えるような、そんな感覚。
私は、またどこかで、「これ、Taroに食べてほしいな」と思う店を見つけたい。そして同じように連れていって、同じようにニコニコしている顔を見たいと思う。ギブアンドテイクではなく、ギブアンドギブ。与えた分を取り返そうとしない関係のほうが、結果として、静かに、でも確実に満たされていくのだと思う。
Text / 池田園子
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