英語学習をしている。
そう言うと、少し構えて聞こえるけれど、実際にはもう「学習」というより、生活の一部になっている。
毎日、英語のドラマを英語音声・英語字幕で見る。短い日は15分、だいたいは30分。日本語のドラマを見るのと、感覚としては、あまり変わらない。
ただ、気になるフレーズが出てきたら、メモを取ったり、途中で止めて調べたりする。「これは使える」と思った言葉が、自分のなかに少しずつ溜まっていくのが、うれしい。
英語の本も読む。Kindleで、全体の5%、もしくは見開き4ページ。長くて難しい本なら、もっと少なくてもいい。量よりも「必ず英語を読む」という習慣のほうが大切だからだ。
それに加えて、日常に英語がある。ご近所に住む、二組の家族の存在。
アメリカ出身の家族が開いてくれる、聖書をときに使った英語のシェア会に参加したり、中欧出身の家族が飼う犬の散歩に、同行させてもらったり。
特別なことではない。英語に触れる時間を、自分で選んで、つくっているだけだ。

英語が、まったくの初心者だったわけではない。幼い頃、公文式で英語を学び、小学5年生のときには横浜に招待されたこともある。高校も、当時としては英語に力を入れていた、公立普通科の国際系に推薦で進学した。
今思えば、「座学としての英語」「受験対策としての英語」は、得意だったのだと思う。
けれど、その後の人生で、英語は一度、私から遠ざかった。
大学を経て入社した会社。2010年、突然「社内公用語を英語にする」と告げられた。
TOEICの勉強。英語でのコミュニケーション。その環境が始まることに、ワクワクしなかった。当時は、「日本人同士で英語を話す意味ある?」という反発心が先に立ち、正直、嫌だった。まだ外国出身者の比率も、かなり低かったと思う。
結果的に、英語化は、退職を考える理由のひとつにもなった。
20代後半から30代前半にかけては、海外によく行った。年に2〜3回行く年もあった。片言の英語と身振り手振り、笑顔をフル活用。それでもひとり旅は楽しかった。
そして2020年。コロナ禍で、海外にも行けなくなった。
「せっかくだから」と始めたのが、オンライン英会話だった。それなりに楽しかったけれど、どこか受け身だったようにも思う。
今は、違う。
今の英語は、完全に自発的だ。近所の人たちと、もっと解像度高く話したい。話しているうちに、単純に、楽しくなってきた。
英語をもっと話せたら、人生が、暮らしが、もっと楽しくなる。そう思えたし、シンプルな英語を話している自分が、けっこう好きだとも思った。
だから、今、英語を学んでいる。「学ぶ」というより、「吸収している」と言ったほうが近いかもしれない。
英語に触れて、吸い上げて、自分の中に取り込んでいる感覚。使える言葉が増えるたび、自分の武器が、ひとつずつ増えていくようで、それが楽しい。必ずしも、その言葉をすぐにご近所さんの前で口にできるとは限らないけれど。
子どもの頃の英語は、外発的動機だった。褒められること、評価されること、推薦で進学すること。それらは確かに結果にはつながったけれど、私のなかには、ほとんど残らなかった(公文式に通わせてくれた親に、ごめんなさいと言いたい)。
今は、内発的動機だけでやっている。「話せるようになりたい」「楽しい」「もっと知りたい」。その気持ちが、毎日、自然と英語に向かわせてくれる。
内発的動機が生まれるというのは、なんて強くて、なんて自由なのだろう。しかもそれは、計画して生まれるものではなく、予期せぬタイミングで、ふと立ち上がる。
だからこそ、尊くて、続くのだと思う。
英語は、もう目標ではなく、私の暮らしの一部になった。それだけで、十分なのだと思っている。
Text / 池田園子
【関連本】『独学で英語を話せるようになった人がやっていること』
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