加害と被害の境界が溶け合う。葉真中顕『家族』を読んだ

葉真中顕さんの最新作『家族』を読みました。本作は、平成を代表する凄惨な事件として広く記憶されている「尼崎連続変死事件」を下敷きにしたフィクション。

多くの人物が“家族”として複雑に絡み合う構造は、あの家族乗っ取り監禁事件が持つ異様さそのもの。登場人物が多すぎて途中で「誰だっけ?」と立ち止まることも。巻末の人物相関図は別紙にして参照しながら読みたい、と思ったほどです。

物語のなかで繰り返し登場するのが、警察の民事不介入です。傷や痣だらけの裸身で駆け込んでも「ご家族が迎えに来ていますよ」と返され、加害の場に戻されてしまう。金銭搾取や暴力の訴えがあっても「家族の問題」として扱われてしまう。家族は必ずしも安心できる最小単位のコミュニティとは限らず、時に暴力の隠れ蓑にもなる。その怖さを本作は突き付けます。

人間そのものの怖さも強烈に描かれています。支配と被支配の関係が固定化すると、人は極限状態のなかで支配層に許される・自らが暴力から逃れるために、家族を殴り、蹴り、痛めつけることへの躊躇もなくなる。

被害者が加害者へと変わっていく過程は、環境が人間をいかに変貌させるかを映し出します。凶悪な存在は突然現れるのではなく、環境の積み重ねによってつくられるのだとも痛感させられます。

夜に読むにはあまりに重く、凄惨さのある1冊です。眠る前に読了したその日はなかなか寝つけませんでした。読むなら、心が明るい昼間をおすすめします……。

Text / 池田園子

【関連本】『家族

毎日をもっと楽しむヒントをお届けします。
「SAVOR LIFE」では、生活をより豊かにするためのアイデアや情報を発信しています。会員様限定のお知らせや限定コンテンツをニュースレターでお届けします。ご登録ください!