SNSを眺めていると、ときどき「これは誰かへの不満なんだろうな」と感じる文章に出会う。相手が誰かとは書いていない。けれど、文脈や出来事の描き方が妙に具体的で、「きっと当事者が読めば自分のことだと思うだろうな」と感じてしまう。そういう文章を見るたびに、少しもったいないなと思う。
多くの場合、その原因はとてもシンプルで、出来事をあまりにも具体的に書きすぎていることにある。いつ、どこで、誰が、何をしたのか。いわゆる5W1Hを、現実に忠実な形で書いてしまうと、読む人は「あのときの話だな」と、わりと簡単に答え合わせができてしまう。
これは極端な例だけれど、たとえば。「奈良に住んでいて、広告賞を何度も受賞しているクリエイター」と書けば、輪郭はかなりはっきりする。業界の人が読めば「あの人かな」と思い浮かぶ可能性もあるだろう。ちなみに、この人物は私の頭の中で今つくられた架空の人物である。奈良のどこかに同じような方がいらっしゃったら、本当にすみません。あくまで例え話である。けれど、それを「広告業界のクリエイター」と書けば対象は広がるし、「クリエイティブの仕事をしている人」と言えばさらにぼやける。抽象度を少し上げるだけで、個人の輪郭は溶けていく。
もう一つ効くのが時間の書き方だ。「先日」と書くと、投稿のタイミングと結びついて出来事が特定されやすい。「あるとき」「以前」などと少しずらすだけで、文章の距離感は変わる。
人生には、書いて整理したくなる出来事がある。ただ、それを起きたままの形で外に出すと、関係者が意外と見ていて「自分のことでは」と感じてしまうこともある。

だから、投稿を出す前に一度チェックする仕組みをつくっておくといい。人力でもチェック基準はつくれるだろうし、たとえばAIに「この文章は特定の人や組織への不満に見えないか」「もしそう見えるなら、個人ではなく構造の問題として書き換えて」と頼むだけで、かなり整えてくれる。いわば投稿前の「安全確認」のようなプロンプト。
ほんの少し抽象度を上げる。少しだけ時間を曖昧にする。それだけで、文章はぐっと穏やかに世の中に出ていく。書きたいことはそのままでも、書き方を少し整えるだけで、余計な摩擦はかなり減る。SNSを眺めながら、そんな小さな工夫の大事さを、あらためて感じたのである。
Text / 池田園子
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