今年もこの季節がやってきた。
8月は毎年、朝のラジオ体操、お盆、花火大会など、地域のコミュニティーが活気づく季節。
暑く日差しの強いこの時期に、「はかなさ」の記憶が追加されたのはいつだっただろう。
研修医時代、ひとりの入院患者の情報をまとめるのに半日以上かかっていた。
私は内科医の中でも「総合内科医」なのだが、総合内科医は主治医観でしのぎを削る科と言っても過言ではない。
ひとりの入院患者を担当する際は、その患者の健康に関する情報をすべて把握し、入院生活をマネジメントすべし——これが研修医であろうとベテランであろうと、唯一の職場の掟だった。

私は研修医の中でも特に能力が低く、患者情報のまとめ方が下手だった。
病院に受診する最大の理由を主訴という。
主訴が発生した症状の歴史をまとめたものを現病歴という。複数の病気を持っていれば併存疾患として聴取する。アレルギー、体重の推移、排便習慣、睡眠時間、社会生活歴についても順に聴く。健康診断を毎年受けていれば、その結果も調べる。もちろん入院前に行った過去の採血データ、レントゲン、心電図にも目を通す。
「目を通す」といえば簡単そうに聞こえるが、これらのデータを自分でWordにまとめなければならない。そもそもすべての検査結果が異常か正常かを判別する必要があるのだが、医学部を卒業した程度では到底できない。もし結果の一部が異常と分かっても、それがどう異常なのか説明できなければ意味がない。説明できなければ、患者とカルテを行き来して情報を集め、さらにカルテと教科書を行き来して調べることになる。
昼過ぎに入院担当になると、その日は夜中に帰ることになる。新規入院担当が続くと、その週は眠れない日々が続く。このような鍛え方は、働き方改革の名のもと、今の日本ではもうできないかもしれない。
そんな患者情報整理も、半年から一年続けるうちに恐ろしく早くなる。半日かかっていたのが3時間くらい(それでも当時はこれくらいかかった)でできるようになった。
しかし、当時驚いたのは2つある。
1つ目は、研修医のときに出会った4年目の医師・Y先生。彼が夜遅くまで残って情報を整理している姿を見たことがない。それなのに、カルテを見ると誰よりもまとまっている。小一時間もかかっていないのではないかと思う。抜けや漏れが一切ない。私は「自分がこんなに鍛えているのに、まるで太刀打ちできない」と感じざるを得なかった。
研修医だった当時、彼のカルテを見たとき、人生で初めて絶望を感じた。学生時代は、勉強熱心というよりは、勉強もせずフラフラしていた私。それでも、大学の病院実習で出会った医師たちに、どれほどベテランであっても絶望を感じたことはなかった。国家試験に通った医師たちが、日々医学情報をアップデートしているとは到底思えず、成長が止まっていると感じていたからだ。「これが同じ医師なのか。このレベルになることは無理……だよな」
2つ目の驚きは、週2回あったプレゼンの場だ。担当患者の情報を必死にまとめ、初期診療方針を披露する勉強会で感じた。数時間から半日かけて作った資料を、30〜60分かけて発表する。70歳を超えた高齢の指導医が、目を閉じて聞いている。聞き終えると「君は今〇〇と言った。××年の採血データでHbは△△、MCVは〜〜〜。プロブレムリストは時系列で記載するルールだが、君のプロブレムでは順序が違う」などと話し始める。小一時間の発表内容を一度で記憶し、現病歴、診察、検査データまで過不足なく指摘してくるのだ。
「ああ、この人も先輩医師と同じで超人なのか。この病院は超人たちがしのぎを削る魔界なのか。こんな環境で生きていけるのか。」深く絶望したのを覚えている。
しかし、本当の絶望はその先だった。患者から見れば、私は彼ら超人と同じ医師であり、同じクオリティの医療を提供しなければならない。でなければ医師としての存在価値がない。当時の持論だった。
ただ、どうやっても同じクオリティは出せなかった。丁寧さでは負けないように努力したが、データの解釈では到底及ばなかった。唯一の救いは、薬や検査は彼ら超人と同じものを使えることだった。つまり、思考の差があっても、同じ結論にたどり着けば差は埋められる。結論や治療プラン、検査プランで差が出ない状態まで思考レベルを研鑽すれば、同じ土俵には乗れると考えた。もちろん、同じ土俵ではあるけれど ちびっこ相撲と横綱くらいの差があるのだが。
社会人1年目でこんな絶望を味わえたことが、今では財産だ。当時の研鑽がなければ、今の力量はない。あれは確かにフックアップされた時間だった。後にわかったことだが、先輩医師たちは学生時代から情報収集スキルを磨いていた。私が研修医で、彼が4年目のとき、すでに7年前後のアドバンテージがあったのだ。Y先生はある地域の中核病院:総合病院で100人を超える医師たちの中でもトップレベルの実力だったのだと思う。わずか4年目にして医療のトップ集団にいたY先生。研修医時代にそんな超一流の医師に出会えたことは奇跡だった。
先輩医師・Y。
自分のロールモデルにすらならないほど優秀で、野球少年にとっての大谷翔平のような存在。そんな彼が、ある年の8月に亡くなった。
月曜の朝の申し送りで、部長から経緯を聞く。何が何やらわからぬまま病棟のトイレに駆け込み、涙があふれて声が漏れた。外来があったような気がするが、覚えていない。知っていたのは私の科の人間だけだった? 平静を装って外来診療したのかも覚えていない。
正直、8月だったかどうかも定かではない。伝え聞いたカンファ室は5B病棟。泣き顔が鏡に映っていたことだけは覚えている。あの日から秒針が止まったまま、別の世界線に放り込まれたような感覚だ。
もういないあの人に出会い、超一流のすごさを定量的に感じ取れた。だからこそ今の自分があり、スキルがある。釣竿を持ち、いつでも魚が釣れるようになった。人生で初めて釣り方を学んだ日々——今日はそんなお話。
Text / Dr.Taro
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