「他人の泥沼を共有される」という負荷について

親類が離婚を控えていて、ゴタゴタを間近で見ています。当事者から相手とのLINEのスクショが送られてくるのですが、文面が慇懃無礼の極みとしかいえません。AIに「この文章を、相手をむかつかせる敬語に整えて!」と依頼しているに違いない。

スクショには「腹立つ」「うぜえ」など相手への罵倒文がセットです。確かに相手の対応は不愉快だと思うも、同時に当事者に何もしてあげられない無力さに包まれます。とはいえ結果をもたらした原因は、割合は違えど双方にある、というのが私見です。

本人に「私にどうしてほしい?」と聞いたところで、明確な答えが返ってくるとも思えない。誰かに共有しないと怒りが収まらないだけでしょう。結局は「疲れるね」「嫌なやつだ」と感想を返すだけ。

やりとりを経て、こうした泥沼バトルをシェアされる側にも、一定の負荷がかかるのだと気づきました。いくら鈍感な私でも、ネガティブな感情を浴びると、そこから切り替えるまでに時間がかかる。仕事A→Bへ移るときと同様、スイッチングコストが生じます。

無事離婚を経て新たな出会いが待っている中、それは知っておいてもいいことだと思います。いつか本人が気づくことを祈るばかりです。

Text / 池田園子

【関連本】『仕事ができる人がキリの悪い時間にやっていること

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