日常で育つ、静かな愛。『平場の月』を観た

毎週水曜はひとり映画DAYという極楽。今週は『平場の月』を観てきました。

中学の同級生だった50代男女が再会を果たし、静かに心を寄せ合う物語です。堺雅人演じる青砥と、井川遥演じる須藤。若い頃の勢いやきらめきではなく、落ち着いた静けさのなかで関係がゆっくりと育っていきます。美しい俳優陣を起用しながらも、華やかさを徹底して排除した演出が、「普通の中年」の現実を丁寧に描いていました。

作中で印象的なのが、数十年を経て繰り返される「須藤は太い」という言葉です。外見ではなく、確固たる芯があるという意味。彼女は辛苦を重ねてきた人生で、自分を守るための鎧のような強さを身につけた人に見えました。その強さは美徳であると同時に、人を遠ざけてしまう硬さも併せ持っています。

物語の中盤、須藤は大腸がんの手術で人工肛門(ストーマ)を造設します。日本には20~30万人のストーマ使用者がいるとされ、人口約1億2,000万人で換算すると約400〜600人にひとりの割合。オストメイト対応トイレの設備に、自分がこれまで無関心だったことにも気づかされました。同じ状況になったらと想像すると、恐怖や喪失の大きさは計り知れません。

そんな現実の中でも、青砥は変わらず寄り添おうとします。しかし須藤は、病状の悪化を知った直後、彼を突き放すように別れを告げます。「もう会わない」と言い放つその瞬間の痛みは深く、心が締めつけられました。「自分なんて幸せになる資格はない」と決めつけるような、強さと弱さが混ざり合った拒絶。すべてを受け入れてくれる相手なら「そばにいてほしい」と願うのが自然なのに、彼女は最後まで硬い鎧を脱げなかった。いや、脱がなかった。

その不器用さは悲しいけれど、同時に彼女の揺るぎない芯そのものでもあります。青砥に愛され、支えられてもなお、人の芯はそう簡単には変わらない――映画はその事実を淡々と、しかし残酷なほど正直に描いていました。

人は完璧ではない。だからこそ、弱さも傷も含めて受け止め合える関係は尊いのだと思います。そして、須藤の死を「他者から知らされる形」で受け入れざるを得ない青砥の姿に、涙が止まらなかった。

この作品に出会えたことに感謝したいです。人生はほとんどが平場。そこに愛は確かに存在するのだと思わせてくれる作品でした。

Text / 池田園子

【関連本】『平場の月

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