TAROとルームシェアを始めて2ヶ月半ほど経ちました。元来、私はひとり暮らしが好きで、他人と共同生活をするのは不向きです。この人と暮らすのは気楽だな、いいものだなと思うことが大半ながらも、矛盾するようですが、3日に1回は「ひとり暮らしがいいな」と思う瞬間がやってきます。
自分のペースが乱れるのを好まなかったり、咳払いや痰切り、冷蔵庫の激しい開閉音など、他人の発する生活音を不快な音として捉えたり、雑なのに繊細なところもあり……というタチの悪い人間だからです。

そんなわけで他人と一緒に暮らせばストレスが生じます。TAROに限らず、どんな他人と暮らしても同様でしょうし、相手も相手で私にストレスを感じるはずです。
先日、なんとなく嫌な予感がして2階へ上がったところ、案の定というか、TAROの部屋のエアコンがつけっぱなしになっていました。昼頃だったので、朝から6時間ほどは無人の個室でエアコンがついていたことになります。
わが家では家賃も光熱費・水道費も折半しています。無駄使いされたエアコンの電気代を支払うことになるのは、理不尽に感じてなりません。私は節電を意識していても、ルームメイトが無頓着系の人であれば、その努力は意味をなさないわけで。
小さな苛立ちが込み上げてきて、いらない紙を取り出してチェックリストをつくり、ドアに貼りました。「エアコン」「電気」という2項目を記載。彼がそれを見るかどうかは分かりませんし、寝ぼけ眼の状態では意味をなさない可能性が高いと予想はできます。でも、そうでもしないと気が済みませんでした。……ここまで書いていて、器の小さい自分に対して自己嫌悪。
そのあと、ハッとしました。「私はまた、人に期待してしまっていた」と自覚したんです。自分の愚かさに呆れました。
いい年の大人に対し「変わるだろう」と期待してはいけない。「つけっぱなしになっている可能性が高い」ことを前提として、自分が「確認」しにいけばいいだけです。
そうすれば、エアコンが消えていたときには「ラッキー」「エラい」と思えて気分がプラスに振れるでしょうし、消しにいく動き自体もそれほどストレスにはならないはずです。階段を上がることで運動のチャンスがあると考えれば、むしろ前向きにとらえることもできます。
「期待しない」は不要なストレスを軽減してくれる考え方です。
パートナーと同居することは義務ではありません。無理だと思えばいつでも解散すればいいわけで。本来ひとりでいるほうが、自分の性に合っているのは間違いなく、今は不自然な状態にあると考えることもできます。
他人に期待をすることは、自分を苦しめるだけ。「つけっぱなしになっているかもしれない」というスタンスでいるほうがずっと健全です。期待しなければ失望もしません。もう少しおおらかに生きられるようになれば、と思っています。
Text / 池田園子
【関連本】『ムカついても、やっぱり夫婦で生きていく』
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