面白い話を聞いた。
いまの中学生は、好きな人に告白するときの文章をAIに考えてもらうらしい。そう聞いて、思わず、へえ、と声が出た。自分の頃は、頭をひねって言葉を探し、自信が足りないときは友達に相談して、ああでもないこうでもないと直しながら書いていた気がする。隔世の感、という言葉がいちばんしっくりくる。
AIは、これまで人が書いてきた無数の文章を学び、その中から文脈上もっとも自然で、角の立たない言葉の並びを選び出す。やりとりを重ねるほど、その場の条件やこちらの指示の癖は反映され、使いやすくなったように感じられる。けれどそれは、AIが個別の感情を理解しているというより、こちらがAIの扱い方に慣れていく、という側面が大きいのだと思う。
同じ条件、同じ相手を想定し、多くの人が似た言葉で頼めば、生成される告白文の構成や温度感は、自然と似通っていく。いろいろな人が、同じ駅前のチェーン店で、同じメニューを注文するようなものだ。大きく外れることはないが、驚きも少ない。
人が書いた文章ではなく、AIが生成した文章同士が行き交う場面は、これからきっと増えていく。そのやりとりを、人間が少し離れたところから眺めている。そんな風景は、もう遠い未来の話ではない気がしている。

それでも私は、AIを使うこと自体を否定しない。便利なものは、やはり便利だ。必要なときに、必要な言葉のたたき台を差し出してくれる存在として、これほど心強いものもない。
ただ、そこで思考を止めてしまうのは、少し惜しい。AIが差し出した言葉を、そのまま受け取るだけでは、それは「誰かのための文章」にはなりにくい。読み返して、画面から視線を外す。どう手を入れたら、そのまま置いておけるだろうか。その問いを挟むことでしか、「自分の言葉」は立ち上がってこない。
良い問いを投げるには、それなりの材料がいる。これまでに読んだ本や、観た映画、誰かとの会話、うまく言葉にできなかった感情の記憶や葛藤。そうしたものが、問いの厚みになる。AIは答えるが、問いはつくれない。だからこそ、使う側の背景が、そのまま文章の質になる。
答えを早く得ることよりも、答えに何度も触れ直すこと。AIと向き合う時間を、思考を省くためのものではなく、思考を磨くための機会として使えたらいい。私は、そう思っている。
Text / 池田園子
【関連本】『生成AI時代にこそ学びたい 自分で文章を書く技術』
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