人は、自分が信じる人の前で、誠実になる。正直にもなる。そんな人間の原理原則が、思いがけず言葉になった出来事があった。
私はキリスト教徒ではない。それでも、毎週一度、アメリカから引っ越してきたご近所さんが開くBible Studyに参加している。前半で日常への感謝や小さなストレスをシェアし、後半で聖書を読み、神の教えや人間の本質について語り合う会。一月から参加し始め、春からは夕食まで共にするのが恒例になった。いま、一番よく会っている人たちだ。
昨日、印象深い物語を読んだ。私なりに要約する。
十年以上出血が止まらない女性の話だ。彼女は多くの医者にかかり、財産を費やしても治らなかった。しかし、イエス・キリストに癒やしの力があると信じ、衣の裾に触れさえすれば救われると願った。そして群衆の中からそっと手を伸ばし、その衣に触れた。
するとイエスは気づき、彼女に声をかける。癒やしを告げる。
この物語から何を学ぶかと問われ、私は拙い英語で答えた。イエスはとてもセンシティブな感覚を持っていて、衣の端に触れられたことさえ感じ取ったのだと。なぜか。癒やしは、相手を認識し、言葉をかけることで完成する。だからこそ彼は気づく必要があった。そんなことを伝えた。
そこに登場する人々から得られる学びについては、こうシェアした。人は、自分が心から信じる存在の前では、誠実で正直になろうとする。
毎回、「Sono-san, Wao, その視点はありませんでした。すごぉい」と目を輝かせ、私の言葉を喜んでくれる主宰者。聖書の知識がないからこそ見えるものがあるのかもしれない。

信仰するつもりはない。それでも、この時間は純粋に面白い。英語で聖書を読み、日本語訳を受けて、その後は英語脳に戻り、自分の考えを英語で伝える。普段使わない頭の部分が刺激される。そして、そのあとには食卓が待っている。昨日も爆笑した出来事があったので、それはまた別の機会に。
週に一度の学びと英語での言語化、夕食のひととき。非キリスト教徒である私にとって、この経験はギフトそのもの。
信じるとは、正直になること。そんな人間の原理原則を、聖書が思い出させてくれた。
Text / 池田園子
【関連本】『Study Bible for Women』
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