新開地の寄席「喜楽館」へ

「チョウズ」と聞いて皆さんは何を連想しますか。多くの人は「手水」ではないでしょうか。

先日、神戸・新開地の寄席「喜楽館」に行ってきました。久々の落語です。

有名な古典落語のひとつ「手水廻し」を演じたのは笑福亭仁昇師匠。この日、久しぶりに「長頭」と“再会”しました。

あらすじを簡単に書きます。

舞台はとある地方の宿。大阪からの客が翌朝、奉公人に「チョウズをまわして」と頼んできた。

奉公人は「チョウズ」が何のことだかわからず、宿の主人に聞くも「?」。料理番に聞いてもわからなかった。

そこで、物知りな寺の住職ならわかるだろうと期待し、尋ねに行ってみると「長頭(長い頭)」だと教えられる。

宿側は、客からは「長い頭の人間を目の前でまわす」ことを求められている、と判断。

そこで、隣町に住むとても長い頭の男を連れてきて、客の部屋に行かせる。長い頭の男は客の前で頭を回し続けたところ、客は怒って宿を出て行ってしまう。

一体、チョウズとは何だったのか確かめる術を失い、次にまた大阪から客が来たときにどうしようか……と途方に暮れる。

チョウズを知るための唯一の方法として浮かんだのは、大阪の宿に泊まり、客の立場を体験することだった。

主人と奉公人は大阪へ向かい、翌朝「チョウズをまわして」とお願いしたのだった。

すると運ばれてきたのは、お湯の張られた金たらい、房楊子(今でいう歯ブラシ)、塩、歯磨き粉。

ふたりは使い方がわからない。お湯に塩と歯磨き粉を入れてかき混ぜて、それを「飲むもの」だと思い込んで、ごっくん。

「オエエエー。ナンジャコリャー」となるが、奉公人がもうひとつ、同じセットを運んでくる。「もう飲めない……」となったのだった。

普遍的な学びがエッセンスとして含まれることが多い落語において、この演目も「教訓」がわかりやすいです。

簡単にいうと「わからないことは素直に人に聞く」「知ったかぶりをすると損する」ということ。

大阪からの客に「チョウズってなんですか?」と聞けば、問題は一瞬で解決したはずですから。

住職のところへ足を運んだり、長い頭の男を調達したり、わざわざ大阪に行ったり、恐ろしく不味いモノを飲んだりする必要もなかったわけで。

いかに「知ってます風を装う」ことが不合理で、不利益に結びつくか。我が身を振り返る機会になります。

寄席に行くのは何年ぶりだったでしょうか。ときどき足を運ぼうと決めました。

自分の人生とは1ミリも関係ない「ニュース」ではなく、普遍的なモノのインプットに時間を割り振っている今日この頃です。

Text / Sonoko Ikeda

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