今の日本で子を生み、育てることに迷う人へのギフト – 『わっしょい!妊婦』レビュー

妊娠・出産に興味がなく、経験したいとも思わない——。

そんな私が新刊『わっしょい!妊婦』を手に取ったのは、作家 小野美由紀さんのファンであり、美由紀さん自身のストーリーを読みたかったからです。

そして、本書を読了した今「すべての元妊婦」の妊娠出産ストーリーを読みたい気持ちになっています。

すべての妊娠と出産には個々のドラマが存在しているのは間違いない、と確信したからです。

身近な人で言うならば、母が私を妊娠して出産するまでの話も改めて詳しく聞いてみたい。そう心から思えました。

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「子どもを持ちたい」「産みたい」といった欲望がむくむく湧いてくるのに気づいたのは、美由紀さんが35歳(当時)のとき。夫は45歳(同)でした。

物語は夫の精子検査から始まって、「仕込み」活動についても具体的に綴られます。いやらしさのない清々しい描写は、冷静な客観的視点の成せる技術だと思います。

夫は初めてトトロに出会った時のサツキとメイのように、大喜びではしゃぎ回った。私も初めて見る夫の精子の姿に瞠目した。

(『わっしょい!妊婦』14頁より引用)

このように情景を容易く想像できて、思わず“ふふっ”と噴き出す描写がところどころに差し込まれているのですが、たとえ話の巧さに驚嘆します。

妊娠してからは、女性の心身がいかに大きく激しい変化を遂げていくかが、実体験を持って明かされています。

私にはカフカの「変身」の主人公の気持ちがよくわかった。

「変身」の主人公のザムザ氏は一夜にして虫になったが、妊婦というのはそれこそ十月十日をかけ、爪の先からじわじわと虫になってゆくようなものである。

(『わっしょい!妊婦』107頁より引用)

妊婦一人ひとり、つわりの症状も異なれば、体調の具合も違うというから、誰かの経験談や書籍にはないことも起きるわけです。

ただただ変化し続けて、「赤ちゃんの容れ物」となった我が身が、女性ホルモンによってコントロールされ、自由の効かない状態になったり、できないことが増えたりも。

お腹に子を抱えた女性にとって、「妊婦というコンディション」がいかに非日常的なもので、心身の苦痛と格闘しながら十月十日を過ごしているか——。

本書を通じて初めて知り、考えさせられることが多く、経験のない自分には妊婦に対しての想像力や配慮が欠如していたなと大いに反省しました。

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妊娠後期を過ぎた41週目、美由紀さんは予定していた助産院でのお産が叶わなくなり、提携先の病院へと入院します。

コロナ陽性結果が出たため、症状はなくとも自動的に隔離病室に入れられるという一連の経験は、コロナ下での妊娠出産経験作家が後世に残す貴重な資料にもなることでしょう。

四十一週二日。夜が明ける頃には痛みはますます激しくなっていた。この頃には「スイカ割の棒でめった打ち」から「ムエタイ選手のヒザ蹴り」に変わっていた。

(『わっしょい!妊婦』266頁より引用)

美由紀さんごめんなさい……と思いながらも、この表現の箇所だけは噴き出してしまうも、頁をめくる手を止めることはできませんでした。

と同時に、ただの読者である自分まで痛みを感じると共に、これらの痛みやしんどさと向き合うすべての人々がどうか安全にお産できるようにと祈る気持ちにもなりました。

無事出産を終えた5日後、美由紀さんは我が子と対面します。

お子さんは本書にもある通り女の子で、私は京都で産前産後を過ごしていた美由紀さんと「激烈にかわいく、そしてでかかった」(『わっしょい!妊婦』298頁より引用)娘さんに幸運にもお会いすることができたのを思い出しました。

美由紀さんと夫さん(一度お会いしたことがあります。柔和で、お話ししやすい方。本書では夫さんも「コメント」でときどき登場します!)の素敵なところを受け継いで生まれてきた娘さんです。

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個人的な思い出話はさておき、本書には「今の日本で子を産み、育てることの困難さ」や「日本で女性として生きることの厳しさ」に関わる社会課題に、自身の考えと問いを投げかける頁も多くあります。

たとえば、安定期を迎えるまで、妊娠したことを公表せずに働かざるを得ない女性たちについて書かれた第二章。

妊婦の妊婦性を限りなく抹消しないと仕事を続けられないような現代社会の労働のシステムは、果たして健全なのだろうか。

(『わっしょい!妊婦』47頁より引用)

妊娠中から活動を始めなければならない「保活」についても同様です。

人工死産についても触れられています。未だに、母体を傷つけ得る「そうは法」が主流で、しかも金額も安くはなく、形式的な同意書も存在します。

命をつないでいく役割は女性にしかないものでありながら、妊婦というステータスの女性はもちろん、女性を取り巻く環境がいかに「男性向け」に設計されたものであるか。

数々の鋭い指摘に、首を縦に振ることしかできませんでした。

ほんわかエッセイではなくゴリゴリに熱いですが、元妊婦・現妊婦・社会にモヤってる女なら(つまり、現代社会に生きるすべての女ってこと)共感間違いなしです。

美由紀さんはツイートにこう書いていますが、私は「現代社会に生きるすべての女」のみならず「全人」に読んでほしい本だと思っています。

ここには「知らなかった」が詰まっています。そして、読めば世界の見え方が変わり、妊婦を含む「準弱者」と弱者とされる人々の力になりたい、と思うようにもなります。

そう考える人が増えれば、世界はもっとやさしく、丸くなっていく。そんな救いとなる考えをもらった気がしました。

Text / Sonoko Ikeda