もうちょっと人の意見を聞いておいたら

「もうちょっと人の意見を聞いてけばよかった」と思うことはありますか?

どうも、医師のDr.Taroです。
「医師」と聞くと、世間の人はこの肩書だけでいろいろな先入観を持ってくださいます。

・勉強がよくできたのかな
・人として素晴らしい人なのかも

こんないい錯覚を覚えてくれる人もいれば

・金持ちなのかな
・コロナでぼろ儲けしたのかな
・悪徳医師じゃないかしら
・きっと世間知らずよね(勉強ばっかりで)

と穿った見方をされることもしばしばです。
本当のことをいえば、医師は聖人君子でもなんでもないし、素晴らしい人もそうでない人もいて、ほんとに人生イロイロです。

かくいう僕は、学生時代は勉強が大嫌い。
謙遜でもなんでもなくて、高校時代は最下位から数えて成績は両手以内だった気がします。

本当に落ちこぼれだった僕は、学生時代さまざまな「こうしたほうがいい」を聞いてきました。
聞いてきたというよりも、聞かされてきたといった方が正しいかもしれません。

しかし、さまざまな忠告は「へぇ~そうなんですね」と言うものの、どれも自分には無関係に思える話ばかり。
忠告を理解して心から行動を変えることはありませんでした。

大学受験でとてつもなく苦労することになるのですが、誰それの忠告を聞いて「あのとき勉強しておけば」と当時思ったこともありました。

ただ今思い返すと、誰かの忠告を聞いて「ああしておけば、こうしておけば」という後悔は意味がないなぁと思うようになりました。

振り返って考えてみると、学生時代のいわゆる勉強に関していえば、勉強する選択肢は当然あったわけで、その上で「勉強しない」ことを選択しているわけです。
その選択を誤ったのはその通りですが、当時の自分は勉強するという選択肢を選ぶことはなかったといっていいでしょう。

そして、のちに勉強で苦労することになるので、周囲の人間からすれば「それみたことか」と映るのですよね。

とはいえ、誰かが感じた転ばぬ先の杖的な言葉って、今の自分には雑音でしかないんですよね。
自分の経験の伴わないアドバイスを聞いておけばよかったと思うのは、二者択一のメリットデメリットを勘案できていない場合ですら、助言が雑音に聞こえてしまう気がしています。

若いころは大きく転んで、転んだ経験を生かし、転んでからの立ち直りをいかに素早くするか。これが肝だと思うのです。

自分の課題は自分で決めるし、転んだらその痛みを忘れないでいればいいし、挑戦を続ければいい。

今はそんなふうに考えています。大人な意見なのかよくわからないけれど、あれはだめ、これはだめな世の中だから、少し楽になる考え方を共有してみました。

Text / Dr.Taro

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