家にテレビを置いていません。
ひとり暮らし〜結婚期間にあたる2011〜2015年秋まではテレビを持っていましたが、別居のタイミングで元夫へテレビを託しました。その後は2020〜2021年にかけて1年ほどテレビを持っていました。
5年ぶりに一体どうした? という感じですが、大相撲にハマっていた時期で、ネット中継だけでは飽き足らず、テレビ(NHK)中継も見たいとなってしまうと、テレビを買うほかありません。
2ヶ月に一度、15日間の大相撲開催期間にしか見ないため、小さくて安いものでいいと、2万円くらいで買ったのでした。
テレビの出番は2ヶ月に一度、15日間ぽっきり。大相撲初日に寝室の隅にある本棚上に置いたテレビをダイニングキッチンのテーブルへと運びます。
それまで「置き物」と化していたテレビは、文字通り置き物で、電源につないですらいません。
「大相撲開催期間に中継を見ることができる日のみ」電源に接続され、テレビとしての役割を果たすのでした。
そして、千秋楽の放送を見届けるや否や、寝室へと戻される(不要なものはどけて、一刻も早くテーブルのスペースを確保したい)。そんな繰り返しが数回続きました。
大相撲への熱が冷めてきたり、仕事が立て込んだりした流れで、大相撲開催期間にテレビ中継を見る時間もなくなったとき、ふと「テレビはやっぱりいらない」と判断し、近くに住む妹夫婦に譲ることに。
5年ぶりに手元に置いたテレビは、わずか1年で旅立っていきました。これは東京にいた頃の話。
幼い頃はテレビを見ていた記憶はありますが、大人になってからはテレビへの興味関心は薄れていきました。
それでも20代前半の社会人時代は「部屋にテレビはあるもの」「テレビは必要な家電のひとつ」という認識で、無意識のうちに買っていました。
ただ、テレビの前に座ってぼーっと見たり、帰宅後半ば自動的にテレビをつけたりすることはありません。
見たいドラマがあればつけますが、家事をしながら見る程度の熱量でした。会社員時代は出勤前に報道番組をつけていたと思います。
テレビを置かなくなると、情報収集はラジオやポッドキャスト、ネットが主流です。家ではGoogle Homeでラジオをつけたり、家用のPCでradikoやポッドキャストを流したりと、室内には音があふれています。音楽を聴きたいときもPCから。
そんな暮らしでテレビに慣れていないため、よそでバラエティ番組やワイドショーがついていると目も耳もひどく疲弊しまうようになりました。
音も大きければ演出も激しく色も多すぎる、とストレスを感じます。直接目を向けていなくても入ってくる視覚的、聴覚的な感覚が負担に感じられるのです。
今の私にとってテレビは情報過多な刺激物になってしまったようです(「コメンテーター」たちの無責任な発言やワイドショーの「過剰な煽り」も正視に耐えない、というのが正直なところ……)。
朝起きるとトイレに行く導線の中でGoogle Homeに「ねえGoogle、RKB毎日放送をつけて」などと話しかけ、福岡ローカルのラジオをつけてもらうのがルーティンです。
遅く起きたときは、いつもポッドキャストで聴いている「飯田浩司のOK!Cozy up!」をつけます。
ただでさえPCを使うことが多く、目が疲れているからこそ、耳を主として使う生活が心地よいです。
基本的にはMCひとり、ときどきゲストが登場して、音楽が流れる—–これくらいの情報量が合っています。これからも音中心のメディア生活が続いていくことでしょう。
Text / Sonoko Ikeda