持たずに、生きていく私

「何もかも持っているように見える人」というのは見渡せば存在します。でも「持てる人」と比べても意味はありません。

私は私で、持てる人と思想も状況も違うから。だから「いいなあ」と羨ましさを感じることもなく、あらゆるものを手にしている状況に感心するだけです。

可能な限りではありますが、私は「持たずに、生きていく」ことを目指しています。

社会に存在するモノを使ったり、関わったり、自分だけのモノとして独占せずにいるのが理想。

ある意味で「都合のいい」「いいとこ取り」な考えかもしれませんが、持つ・持たないの選択は自由です。

たとえば、猫。私は猫をかわいい生き物だと感じます。でも、自分の家で猫を飼いたいとは思わなくて、飼う予定もありません。

室内で生き物を飼いたくない(植物は別です)のと、家を留守にすることも多いのとで、飼うことは現実的に無理でもあります。

「猫愛で欲」はパートナーの住む大阪にいるとき、夜の散歩中、地域猫のフキミ(勝手に名付けました)と会って触れ合うことで満たされています。

あるいは、福岡で暮らしているとき、友人宅におじゃました際に飼い猫を撫でたり、道端で人懐っこい猫に会ったりするのでも十分です。

持つ・持たないの議論に上りやすい不動産についても言及しておきます。

居住用・投資用共に何度か関心を持つ機会はあり、数年に一度購入意欲が生まれて調べるものの、結局手を出していないので、持たないのが合っているのでしょう。

建物のように確実に古くなり、ゆるやかにでも価値の下がっていくものに対し、大金を費やす・膨大なローンを組むことが、私には何年経っても踏み出せない一歩のようです。

長生きはしたくありませんが、万一、高齢になっても生きていたとしたら、地方の300万円くらいの手頃なワンルームマンションを買って住むのもありだなと思っています。

車も運転の練習をし始めてから「あったらいいな」と一瞬思いましたが、カーシェアとレンタカーサービスに登録して、それで満足しています。

共に車で出かけてドライブの練習をしてくれる友人もいます。自分が車を持たなくても、豊かな状態でいられてありがたいなと感じる日々。

「持たずに、生きていく」理想の根底には、「かろやかに動ける状態を作っておきたい」という思いがあります。抱えるモノは少なく、いつでも飛び立てる準備をしておきたいです。

Text / Sonoko Ikeda