「いい甘え」は人を幸せにする

最近、誰かに甘えましたか? 甘えてないな……という方は、この機会に甘える行為を再考してみてはいかがでしょうか。

まず、「甘える」の定義です。「甘える=よくない、ダメなこと」と捉えていると、人に甘えられなくなります。

私はいい甘えもあれば、悪い甘えもあると考えています。自分なりの「いい甘え」の定義は、甘えられた相手が喜ぶ甘えです。当たり前のような話ですが。

最も直近の事例でいうと、私は母に甘えました。

実家に立ち寄れるチャンスがあったので、「久しぶりに母のごはん食べたい! 母の料理、美味しいもんな。実家に行ってもいい?」と連絡したのです。

すると、母は機嫌よく了承してくれました。私にとって母の作る料理は本当に美味しくて、お代わりしたくなる味で、本心から美味しいと伝えています。

そこに嘘偽りはないと、母自身分かっているでしょう。また、私たち母娘は5〜6年前に険悪だった時期もありますが、今はほどよい距離感を保てていて、自然とお互いを心配したり気遣ったりできるようになっています。

そんな関係性もあって、離れて暮らす娘が久々に顔を出す、というのは母にとって楽しい非日常であり、こうして甘えられるのはいやではないのだと思います。

パートナーにも甘えています。たとえば、彼はお風呂で私のシャンプーとヘッドマッサージを担当したがるため、そこはありがたくお任せしているのです。

自分でちゃらちゃらとやるより、遥かに心地よいですから、彼から「今日もシャカシャカ(洗髪のこと)やるよ」と言われて、断る理由はまったくありません。

しかし、私はときに図々しくなります。洗面所で髪を乾かすタイミングで彼と遭遇した際、「ドライヤーして」「髪の毛とかして」と、洗髪に関わるto doも頼んでみるのです。

彼は笑顔で「うん」と言って、喜んで応じてくれます。好きな相手が娘のように(?)甘えてくるのを歓迎している様子で、むしろ全行程を担当したいのではと思うほどです。

毎回ではありませんが、そのときの表情や元気の有無を観察して、適切なときに甘えた対応に出ます。

そのほうが、私が自分で自分の髪の毛を乾かすよりも彼がハッピーになるので、甘えることは悪ではなく、ふたりの笑顔量を増やすのに貢献する良行動です。

福岡でも仲の良い人たちに甘えています。

一例を挙げると、ちょっと遠方にドライブしたり、ついでに運転練習に付き添ってもらったり、道の駅や郊外のスーパーに買い物に行ったり、近所の飲食店を食べ歩きしたりする、ご近所のおじさまに。

先日、古賀市内の巨大スーパーへ行った折、私はおじさまにこんなことを言いました。

「私ひとりで運転するの無理かも。我々が絶交しない限り(笑)、◯◯さんには福岡での私の運転の先生でいてもらいたいです。いいですよね?」

おじさまは人と絶交した経験がないと話していたので、多分私と絶交することもないでしょう。

「常に丁寧語でコミュニケーションする」ことを除けば、食事やドライブに出かける、ときどき大量に仕込んだ料理をシェアしてくれる点で、私たちは仲の良い父娘のような関係です。

そんなおじさまですが、私と関わることを楽しんでくれているため、「運転を見守ってほしい」「助手席で監督してくれると安心感がある」などと伝えると、喜んでくれていると思います。

いい甘えは、相手の幸福度や自己肯定感を高めることにつながると考えています。状況に応じて、積極的に甘えていきたいものです。

Text / Sonoko Ikeda

▼「甘える」は「人の心をほわっと動かす」ことでもある▼