「原因」は必ず自分にもある

「風邪をうつされた」と「風邪がうつった」。皆さんはどちらの表現を使いますか?

「された」と「した」という表現だと、私は主体的な「した」を選択したいと考えています。

ある本を読んでいて、「〜に風邪をうつされた」との表現があり、ふと立ち止まりました。

確かに、その相手がうつしてきたことは間違いないようです。同じ空間にいる時間が長い相手や家族なら、きっとそうなのでしょう。

しかし、私は「自分が同じ状況を説明するならどう書くか」と考えていました。自分なら「風邪がうつった」と書くなあと。

どちらも、他者の風邪によって自分も風邪を引いたという意味合いながら、「うつされた」は相手の責を強調し、自分は被害者であると言っているように感じられるのです。

一方、「うつった」は原因は他者にあれど、他者を責めるニュアンスは減ります。

自分も体調管理ができていなかったとか、風邪を引いている相手に対し気をつけなかったとか、自分にも非はあるといった要素を暗に含むことができるような気がします。

大前提として、我が身に何かが起きたとき、それは悪いことであれ、良いことであれ、原因は必ず自分にもあると私は考えています。

まず、悪いことを挙げてみます。たとえば、パートナーとのコミュニケーションが心地よくできないとき。

そのとき何がどうなっているかというと、私は進める必要のある仕事に追われ、心に余裕が少ない状態です。

夕食の準備から片付けまでさっと済ませて、早く自分の部屋に戻って、やりかけのタスクを再開したい、ひとりで集中したい、という思いが頭を占めています。

それもあって、早口で温かみの欠けた話し方になり、スピードを意識して素早く動き回り、相手への配慮や想像力が欠如。お猪口サイズの器です。

「パートナーが悪い」とは思いません。私も大いに原因を作っています。ケンケンしたオーラは相手にも伝わります。

良いことも挙げてみます。たとえば、人との出会いによって新しい仕事を獲得できたとき。

そのときは、私が相手方にポジティブな印象を与え、仕事をしたいと思ってもらえるきっかけを作れていたということ。

起きた物事には意味があり、自分の在り方が現実をつくっている。その気持ちを忘れずに生きていたいです。

Text / Sonoko Ikeda