飯塚事件を追った『正義の行方』を見た

福岡県飯塚市で女児ふたりが殺害された「飯塚事件」が起きた1992年2月、私は5歳でした。

当時は事件を知る由もなく、大人になって何かの折に知り、福岡に住んでいた2年間、飯塚市と縁ができたこともあり、事件に関心を持ったのです。

4月27日、飯塚事件を追ったドキュメンタリー映画『正義の行方』(監督・木寺一孝)が公開開始され、私も見てきました。

令和4年度 文化庁芸術祭テレビドキュメンタリー部門で大賞に輝いた、『正義の行方~飯塚事件30年後の迷宮?』(BS1スペシャル)が映画化された作品です。

ものすごい作品と出会ってしまった……。2時間40分の鑑賞中、何度もそんな感想が湧き上がりました。

飯塚事件は特殊な事件です。事件発生から2年後に久間三千年が「犯人」として挙げられ、2006年に死刑確定、わずか2年後の2008年に死刑執行となりました。

死刑執行から1年後に再審請求が行われたものの、地裁、高裁、最高裁すべてで棄却されています。2021年には第2次再審請求が行われ、福岡地裁の審理待ちです。

久間元死刑囚が何も語らず、容疑を否認し続けたこと、殺害動機や方法、場所など事件の詳細は未だに明らかになっていないこと、当時警察が普及を急いでいたDNA型鑑定の結果を有力証拠として推していたこと(精度が低いにも関わらず)、1秒にも満たないであろう目撃証言が確かな証拠として採用されていたことetc.

こういった背景がありながら、そもそも「証拠」は証拠に値するモノなのか。久間を犯人と見立て、さらには死刑にしたのは正しかったのか。本当に、久間が犯人なのか——。

2000年代は死刑確定から執行までの平均期間が約7年ですが、わずか2年で執行されたのは異質ですし、執行から16年経った今でも冤罪議論が続くほど、事件の着地に疑念を持つ関係者が多い事件です。

本作では、飯塚事件の捜査や弁護、報道に関わった警察・弁護士・新聞記者の3者に取材を重ね、それぞれの証言を集めています。

この事件においては、関係者の誰もが目的を持って仕事をし、それぞれに言い分を持ち、決着を付ける必要がありました。

警察は犯人を挙げること、弁護士は久間の無罪を証明すること、新聞記者は真実を報道すること。そのために全力を尽くしていたといえます。

穿った見方をすれば、手段を問わずその目的を果たしたら、出世や昇進、売上増、名誉獲得などにつながることから、そういった欲を叶えるために動いた人もいるかもしれませんが。

正義の行方』というタイトルは秀逸です。3者3様の「正義」が描かれ、一部の正義は暴走しているような危うさを感じます。

また、これは当たり前のことですが、それぞれの立場での正義を追い求めると、他の立場の正義と相反し得るのです。

そして、「当時の正義」と「今の正義」が変わることもあります。立ち位置や世の中の進化、社会の変化などによっても、正義の定義は変わり得ます。

誠意を持って貫きたい正義がある。一方、その正義を振りかざすことで、他者の運命を変えてしまうことがある——。このことは、大なり小なり正義を実現しようとするとき、意識しておきたいところです。

警察の捜査から司法制度、事件報道はどうあるべきなのか——。本作は受け手に難解な問いを投げかける良質な作品でした。

Text / Sonoko Ikeda