頭が悪くても、考えることに価値がある。

「伝書鳩」にはなりたくない——。

(これはビジネスにおける伝書鳩の話です)

仕事の場で伝書鳩的な立ち居振る舞いを見ると、気が引き締まると同時に考えます。

「“伝書鳩としての役目を貫き通すスタンス”も一定存在するのだろうか?」と。

間に入って「伝言」するのが伝書鳩の役割です。

上から降りてきたことを下に「そのまま流す」という、自分の思考を入り込ませない行動ともいえます。

考えたくないほど疲れているのか、思考するエネルギーをその案件に費やしたくないのか、丸投げしても無問題だと相手に絶大な信頼を寄せているのか、理由は分かりません。

ただ、その在り方、もったいないなと思います。

技術の進化に乗っていると、意識的に確保しない限り、思考の機会や時間は取りづらくなっています。

現代はGAFA+α勢による可処分時間争奪戦争と言っても過言ではありません。

上流と下流とをつなぐパイプ的立ち位置でいられるなら、自身の思考を添えて流す方が自分にとって学びや経験値になり、相手にとっても気づきになり……といいことづくめだと思うのですが。

私はいわゆる「しごでき」(仕事できる人)とは程遠く、地頭もよくなくて、記憶力なども乏しい人間ですが、だからこそ伝書鳩にはならず、ない頭を使って考えてから流すよう心がけています。

ここまで書いて、しごでき系伝書鳩もいるのかもしれないなと思いました。

でも、より良いチームプレーを目指すなら、伝書鳩ポジションはいりません。うまくいって、個人・組織の成長も得るのは、頭を使って考えて行動する人が集まるチームですから。

Text / Sonoko Ikeda