「スープの冷めない距離」の近所付き合いが温かい

2日前、自作したマフィンを近所の友人宅にシェアしに行ったら、獲れたての夏野菜を大量に分けていただきました。

大きくてつややかな茄子にピーマン、シシトウ、青々とした小ネギやモロヘイヤ。いきいきとしたエネルギーを発する野菜でした。

せっかくなら他の人にも少し共有したいと思い、その一部を昨朝、近所の別の友人にお裾分けしたところ、午後「天ぷらにしようと思うので少し食べませんか?」と連絡が。

自宅で天ぷらや唐揚げのような、油をたくさん使う料理をしない(油はねが怖い・後処理が面倒という理由です)私には大変うれしい申し出で、即「いただきます!」と返信し、お礼を伝えました。

すると、夕食前のちょうどいいタイミングに、2人前くらいの量の天ぷらと大根おろし、お手製の天つゆ、その他おつまみを持ってきてくれたのでした。

天ぷらはシェアした茄子やピーマンのほか、友人が手配してくれたと思しきえのきや魚介類(海老、イカ、白身魚、きすなど)、竹輪などが加わっていて、とても豪華な内容。

友人「白ワインに合いますよね(笑顔)」
私「ですね(満面の笑み)。冷やしてます(笑)」

なんてやりとりをして、ありがたく受け取ってお別れ。英国ドラマを見ながら、白ワインと天ぷらをお代わりしつつ、贅沢な時間を過ごしたのでした。

4〜5年前、東京・駒込に住み始めた頃、妹のマンションが私の住まいから「徒歩3分の距離」にありました。

それもあって、何かモノをいただいたとき、青果類をたくさん買ったときなどは、お裾分けに行っていて、その距離感と関係性がとても快適だったのを記憶しています。

ここに挙げたふたりの友人も、うちから徒歩3〜5分ほどの距離に住むご近所さん。当時の妹とやりとりしたようなことができています。

徒歩10〜15分圏内に範囲を広げると、ほかにも両手に収まるくらいの人々とご近所付き合いがあり、お裾分けさせてもらう機会があります。

近所にそんな昔ながらの温かみのあるやりとりをできる人々がいる——そのことは、ひとりで暮らす私の心をやわらかく包み込んでくれる事実です。

Text / Sonoko Ikeda