パートナーに「尊敬」を求めない

みなさんが「パートナーに求めるもの」はなんですか?

8月5日から配信開始した『バチェラー・ジャパン』シーズン5を見ていると、バチェラーと女性との間にそんな問いが出てきました。恋愛の始まりで「あるある」なやりとり。

若い女性数人が「尊敬できること」を挙げていたのが印象に残りました。

というのも、自分もはるか昔、合コンや1対1の食事で同じようなことを聞かれ、同じように答えていたからです。

そんけい【尊敬】
(1)相手をすぐれていると認め、あこがれること。
(2)相手を重んじて、失礼がないようにすること。うやまうこと。
三省堂 国語辞典 第八刷』より引用

尊敬という言葉と改めて向き合うと、こんな意味で使われています。

パートナーに限らず、向き合う人にはできる限り(2)を心がけています。

すぐれている人は多いので、(1)の「相手をすぐれていると認め」はするものの、後半の「あこがれる」はほとんど抱かない感情だなと気づきました。

確かに、すごい人はいます。でも、その人と違う状況で、違う世界で生きている自分が、その人にあこがれる意味はないので、あこがれるという感情は芽生えないんです。

ただ、昔はなぜかパートナーに尊敬という要素を求めていたみたいです。「“(自分基準で)すぐれている人”と一緒にいる私」に価値を感じていたのだと思います。

過去のパートナーには、何かに突出してすぐれている人たちがいましたが、すぐれた要素がふたりの関係を良くする役目を果たしたかといえば、そうでもありませんでした。

今の持論。パートナーに「尊敬できる人である」という要素は不要。「この人のこと、尊敬はしないかな」と思う相手でもいいということです。

今、37歳の自分がパートナーに求めるものはありません(清潔感、正直、人としての良心があるなど、最低限のことは除きます)。

代わりに「これがなければ」と思うのは、
・一緒にいて疲れない、落ち着く
・一緒にいてゲラゲラすることが多く、ときに腹筋が攣りそうになるほど爆笑してしまう
・この人の笑顔を見たい、ふたりが笑顔でいる時間を増やしたいと思う
・この人を守りたい(=大事にしたい)感情に包まれる
・自然な自分でいられる、童心に返った自分でいられる
などの要素でしょうか。

今のパートナーはこれらを満たす特別な人であり、37年生きてきた私にとって「ふたりで過ごしていて最も楽しく、最も笑顔になれる人」であることは間違いありません。

人間的な相性が合うかどうか、が大事なのだと思います。

みなさんが「パートナーに求めるもの」はなんですか? ポストやリポストでご意見を聞かせていただけたらうれしいです。

Text / Sonoko Ikeda