「頼りにしてくれたお礼」を行動で返す

誰かに何かを頼ってもらったとき、私自身が直接役に立てなくても、誰かを紹介することで間接的に役に立ちたい——いつもそう思っています。

たとえば最近、仕事関連で知人から連絡をもらう機会が立て続けにありました。

1件目。私自身が相手に直接かつ迅速にギブできることは、その時点では残念ながらありませんでした。

だからといって、何もしないのは自分の流儀に反します。代わりに自分の周りにいる人々に協力を仰ぎました。

そのために使った時間は、各所とのやりとりを含め2時間くらいでしょうか。それで何か良い動きが生まれたらいいな、という祈りを込めています。

中にはかなり久々に連絡した相手もいましたが、数年ぶりに「来月会おう」となったケースもあり(私から誘っています)、結果的には「動いて良かった」「自分にとっても良い機会になった」という感想です。

ちなみに、私は「ご無沙汰しています」という字面や言い回しが、堅苦しくて他人行儀で好きではないので、「久しぶり!」くらいのライトな表現しか使いません。

数年連絡していないのに名前の呼びかけや「こんにちは!」から始めることもあります。そんな唐突感が溢れたメッセージに快く対応してくれた人々に感謝です。

2件目。別の知人からは、私に仕事を依頼する内容が来ました。しかし、私はその依頼を受けないと判断。

受けようと思えば受けられないこともありませんが、「無理して」「不自然に」受けることでもありません。

ただ、せっかく私のことを思い出して、頼ってくれた相手に申し訳ないと思い、別の方とおつなぎしました。

何においても、私の代わりとなる人は数限りなく存在します。ただ、相手がまだその人と出会っていないだけのこと。

だからこそ、おつなぎしてネットワークを広げてもらいます。頼れる人はたくさんいるほうがいいのです。

頼ってくれた相手に対し、基本的には「ごめん、お役に立てない」で終わらせたくはありません(よほど不義理な相手、関係性の良くない相手に関しては、終わらせる可能性があります)。

たくさんの人の中から私を思い出してくれた、頼りにしてくれた気持ちのお礼をしたいので、自分が無理のない範囲で行動すると決めています。

後日「あのとき、助かったよ。ありがとう」と言われると、それほどうれしいことはありません。

Text / Sonoko Ikeda

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