悩むことがなくなった

いつの間にか、人に悩みを話すことがなくなっていました。

悩みというものが「ありそうで、ない」のです。

家族がいたら悩みを抱えていたと思いますが、ミニマムなひとり暮らしで、周囲の人や環境に恵まれているおかげでしょう。大前提として、大変な幸せ者なのです。

だから、ありがたいことに、一般的に悩みにあたるような悩みはありません。

一方で、自分自身の内外に起きた変化に意外性を感じ、でも、それを無理に解消しようともせず、そっと客観的に見守っている感覚があります。

あまり詳しくは書けないことですが、加齢に伴う身体やホルモンバランスの変化なのか、「私がこんなふうになってしまうとは驚いた」という感想を持つ現象と向き合っています。

ただ、自分の意思ではコントロールしようのないことなので、強制的に変えるつもりもなければ、悩みとして意識するつもりもないのです。

「そんなときだってあるだろう」というような、気負わない捉え方をしています。

「こんなこともある」「不自然なことではない」とも思っていて、「解決」を目指していません。

若いときは友人に悩み話を聞いてもらっていた記憶があります。私は今も未熟な人間ですが、あらゆることを明け透けに語っていた当時は、今よりもっと未熟でした。

他者に話すといいこと、他者に話さなくてもいいことの分別はついても、吐き出さずにいられなかった愚かさがありました。

今もそれらの分別がつくのは昔と変わりませんが、他者に共有しなくてもいい、共有したい欲がない状態です。

私の抱える変化は自分で観察するだけで十分。それが最も身近な他人であるパートナーにも関わることならば、彼に共有するだけで事足ります。

それは悩みではなくて、自分自身という人間にまつわる「気づき」や「発見」といえることなのだろうと思います。

Text / Sonoko Ikeda

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