片付けられない自分を認める

田舎の家に行くと、家に多くの物を所有しているイメージがある。かつての豊かさは、物質的な豊かさで、物がたくさんあるほうが豊かであるという価値観だった。

しかし、今やそれも完全に変わってきている。ミニマリストという言葉もかなり浸透しているように、少ない物でも幸せに暮らし、生活の質を上げる生き方がひとつのライフスタイルとして確立されている。

ミニマリストとまではいかなくとも、少ない持ち物で豊かに暮らす人も多いだろう。

私は片付けができない。私も、本当は少ない持ち物で暮らしたいと願っている人間である。
しかし、現状は全く片付けられていないし、物も減っていない。
物を減らすことは常に意識して、買ったら処分することをなるべく心掛けているのだが、自分にとって良い物を見つけると購入してしまい、結果的に物が増えていく。

物を手放すのは難しい。断捨離方法や整理整頓に関する本も多く出回っていて、その考え方に触れたこともある。
半年または一年使っていなければ処分、という指南はその通りだと思うけれども、私の場合やはりまだ「でもまだ使うかも……」「必要になるときが来るかも……」と考えてしまうのだ。
そう思えないものは思い切って処分をすることもある。例えばこれまで、引っ越しを機に、たくさんの食器・タッパー類や鍋、コンセントタップなどを処分した。

しかし、物を所有することには、その分お金もかかると知っている。
物を所有する分のスペースが必要になり、そのスペースを確保した住宅に住まなければならない。物を手入れする際のコストもかかる。その物に振り回されることで、自分の時間が奪われている。
こう挙げると利点がない。それも分かっているのだが、それでもやっぱりまだ思い切って捨てることはできないの繰り返しである。

私には恐らく収集癖がある(蒐集癖と言えるかも知れない)。まだ使えるであろうその物たちのことを思うと、どうしても捨てられないのだ。だからもう、無理をして捨てる必要もないのかもしれないとも思う。
そして、断捨離と整理整頓は分けて考えるべきかも知れない。私はいま、どちらも中途半端だ。

自分のペースで捨てつつ、物があるならあるで、整頓整頓をすることが大切なのかもしれない。物を所有しているなら、それらをあるべき場所にしまい、使用後はあるべき場所に戻す。その基本をまずは守ろう。整理整頓に便利なツールも昨今では多く出回っているので、工夫の余地もあるだろう。

片付けられない自分を認め、自分のペースで断捨離を進め、物を所有しながら、気持ちよく生活する方法を模索していきたい。

Text / miki

▼「無理して捨てない生き方」に関する本▼