思い出の小皿を石鹸置きに

ここ数年を経て、すっかり手洗いが習慣になった。
こう書くと「前は違ったのか」という声が聞こえてきそうだが、以前よりも手を洗う回数は格段に増えた。

仕事帰りに電車の発車時刻や帰宅後のタスクを気にしながら、間に合わせで買った詰替のハンドソープ。もちろんそれも便利ではあるのだけれど、使い込んでなんだかくたびれた印象になったプラスチックのポンプを「ギュッ」と押し込むたびに、ご機嫌な気持ちや1日1日のかけがえのなさのようなものまで泡と一緒にどこかへ流れていってしまいそうな気がした。

週末に「そういえば」と、洗面台の下にあった石鹸を引っ張り出してみた。ぴりぴりと包み紙を破くと、真っ白で、少しふっくらとしているありふれた石鹸があらわれた。洗面台の光で縁が少しだけ透き通って見える。すっきりとしたいい香りだ。

我が家にはソープディッシュ(石鹸置き)が存在しない。以前はプラスチックのものがあったような気もするが、引越しの際に捨ててしまったのかもしれない。

さてはて。
どこに置くべきか。

揃えの中国茶器の中の一枚で、染付の小皿がふと浮かんだ。海外滞在中に買い求めたもので、軽やかな青色がお気に入りなのだ。魚と蓮の模様が丸いお皿に等間隔に描かれていてかわいらしい。滞在先では魚は「豊かさや幸福の象徴」として縁起がいい生き物とされていたので、ひょっとしたらよくあるモチーフなのかもしれない。

小皿に目の荒いスポンジをさっと敷いて、その上に角がキッと立った真新しい石鹸をポンと置くと、これがまあ素敵なのだ。

洗面台と石鹸の白色に、鮮やかな染付の器の取り合わせ。そこがまるで光を浴びたように光って見えて「うんうん」と、しばしにんまりとして過ごした。

褪せて白っぽくなったハンドソープのポンプには「見て! 買って!」と、にぎやかに文字が踊っている。「商品名のシールを剥がすこともしなかった暮らし」より、「旅先の雑踏をドキドキしながら歩いて買い求めた器のある暮らし」のほうが、ずっと心地がいい。
私の思う好ましい住空間のために、ひいては好ましい毎日のために注意深くありたい。まだ新しい石鹸が香っているチッポケな洗面所でそう思った。

Text / Safa