「お金に余裕があるとき」のあり方

お金の話をします。手元にあるお金に余裕があるとき、余剰分の一部を世話になった相手へシェアする、という話です。

運のいいことに、私は社会に出てからお金に困ったことはありません。世界基準で見ると高給とは言えませんが、(当時)比較的いい初任給をいただける会社に入り、転職後も同水準をいただきました。

3年も経たずに会社員をやめて、フリーランスになりたての頃はほぼ収入なしでした。

ただ、貯蓄があったのといただける仕事が徐々に増えて安定し、(当時。10年ほど前)ライターの需要が高かったこともあり、休まず働きまくって稼ぐことができていました。

稼げるようになってからは、私が家族(元の家族)の中で最も豊かになったこともあり、実家へ毎月8万円を仕送りするように。今でも月5万円を送っています。

その頃、「なぜ、3人きょうだいのうち、私だけがお金を送らないといけないのか」と考えたことがありました。それで嫌な気持ちになったこともあります。

毎月それだけのお金を家族に渡したところで余裕はあり、別に私の懐が寂しくなるわけでも、困窮するわけでもなかったというのに、です。

今振り返ると、心がケチでした。自分を育ててくれた相手に対し、自分が困らない額なら前向きに援助すべきだろうと思いました。

最近勉強しているイスラームには「喜捨(ザカート)」という文化があります。喜捨の具体的な金額は貯蓄の2.5%程度。

毎年「ニサーブ」といわれる基準的な金額が設定され、貯蓄額がそれを超えている人は喜捨の支払い義務が発生し、逆に下回っている人は喜捨を支払う必要がありません。

所有する財産に応じて喜捨の額は変わりますが、生活を維持するのに必要な財産を除いた上で算定されます。あくまで余剰分、余裕のある分が喜捨の対象になるのです。

イスラームの世界における喜捨は、広く困窮している人や公共のために用いられる点で、私のエピソードと直接結びつくものではありません。

ただ「余剰分を前向きな気持ちで差し出す」という考え方自体は共通していると考えられます。

無闇にお金を貸すことはしませんが、余裕があるならば、両親のように面倒を見てくれた人、世話をしてくれた人をお金の力で助けられる自分でありたいなと思います。

Text / Sonoko Ikeda

▼イスラーム入門本▼