「この人、ずいぶんと好き勝手なことを言うなあ」。他人にそんな感想を抱いた経験はありませんか?
私は何度もあります。
そのたびに「(こちらの事情を)分かってないなあ」とか「仮に分かっていたとしても、気にせず言ってるんだろうなあ」と思い、同時にイラッとする気持ちが生まれていました。
最近もそんなことがありました。お金が絡む話で、相手は一銭も出さないけれど、こちらは一定の金額を負担するというもの。
「出資するわけでもないのに、簡単に言ってくれるねえ」と心の中で嫌味を言った自分を「性格が悪い」と思いました。
相手の勝手に思える意見と自分の器の小ささ、どちらも不快に感じられて、一定期間、負の感情を引きずっていて、こんな些細なことに引きずられて情けない、と虚しくもなったのです。
もうこんなモードになりたくない、と考えたとき、ふと「でも、これって“お互いさま”じゃない?」という言葉が降りてきました。
物事を俯瞰的に見られる、もうひとりの私が言ったようです。
私も至るところで「ずいぶんと好き勝手なことを言ってきた人」だろうと、今更ながら我が身を振り返りもしました。
相手の詳細な事情や背景などを聞きもしないまま、「〜したらいいんじゃないか」「〜するのがいいのでは」と、安易な発言や提案を数え切れないくらい、それはもう膨大にしてきたと思います。
ライトな会話の中でたくさん、いろいろな人に対してしてきたでしょう。そのたびに相手に「この人、ずいぶんと好き勝手なことを言うなあ」と思わせてきたはず。
私がイラッとした他者とのやりとりも、それと同じようなラフなものです。悪意はなくて、ただ言っただけ。
そして、「分かって」いたら言えないこともあるはずです。ただ、相手のことを100%分かるのは不可能で、30〜50%でも完璧に分かることは無理です。
だから「この人、こっちの事情を分かってないなあ」は当たり前で、分かってないからこそ好き勝手言うわけです。それが前提。
むしろ、相手にこちらのことを分かってもらえている、と期待するほうが間違っています。生き方も、視座も、目線も、立場も何もかもが違うのですから、お互いに分かっていないのが自然です。
そう捉えると、「この人、ずいぶんと好き勝手なことを言うなあ」と感じたあと、瞬時に「こちらのことを分かってないから当然か」と納得すればいい。
あるいは「この人、ずいぶんと好き勝手なことを言うなあ」という感想自体を脳内から消去し、言われた瞬間に「その意見、一応受け取っておきます」としてもいい。
あくまで、分かり合っていない者同士のラフな会話です。その中で投げかけられたラフな意見に、いちいち感情を揺さぶられていては疲れます。
「お互いに分かっていない」が基本です。そう考えておくと、無駄なイラッは減らせると気づきました。
Text / Sonoko Ikeda