自分とは無関係な「失敗談」とは距離を置く

1億円超のタワーマンションをローンで購入したパワーカップルが、数年後に返済を滞らせてマンションを売却せざるを得なかった不幸話を某ビジネス媒体で読んだとき、どこか上から目線な感想を持った自分に気づきました。

「見栄なんて張らなくていいのに」「身の丈に合う賃貸暮らしで良かった」なんてことを思ったのです。

と同時に後悔しました。

数字や特定のキーワードに引かれるあまり、私の人生になんらポジティブな影響を及ぼすことのない記事をクリックしてしまった、と。編集部の思うつぼではないか、と。

1億もするタワマンを購入する予定も、そもそも賃貸生活を愛し、物件購入意欲もない私にとって、読んでも得することは一切なく、単に自分の中から嫌な感情が湧き出てくるだけです。

タワマンを購入する人にとっては勉強を兼ねて読んだ方がいい記事でしたが、当時の私には不要。そう捉えた上で「読まない」「クリックしない」選択をすればよかったと思いました。

「失敗話は読まれる」「失敗談はウケる」という話をメディア関係者や書き手の多くが聞いたことがあるでしょう。

先日、楽園の地図さんがこんなポストをしていました。

「投資」の話なので、私が読んだ「居住用としてタワマンを買う」人の話とは種類が異なりますが、人は基本的に失敗談を求めています。

あえて「上下」という位置関係を挙げますが、失敗した人は自分より「下」に見えて、安心できるのかもしれません。「この人と比べて自分はまだ大丈夫だ」と思えるのかもしれません。

無意識のうちに優越感を抱くこともあるでしょう。先述した私の感想も「無理してタワマン買ったのね……」という、嫌な感じを含んでいます。

でも、楽園の地図さんが「読者を慰めることはできても成功には導けないよ」と言う通り、失敗談を読んでいても、その間に前進することはありません。

哀れみや同情の気持ちを抱いたり、そこに登場する失敗者と自分とを比べて、自身の現状に満足したりするくらい。

もちろん、その失敗談から得たこと、気づいたことを深掘りし、リサーチして、失敗しないための対策を立てるところまでいく人は別です。

ただ、私には失敗談を「コンテンツとして消費」するのは、生産的な時間とは感じられません。時間の浪費に思えるのです。

それに気づいてから、私は失敗談を全面的かつ扇状的に押し出したコンテンツを読まなくなりました。意識的に距離をとっているのです。

時間は有限です。限られた時間の中で、やりたいことをやり、やるべきこともやり、自分ひとりの時間も楽しい仲間との時間も確保したい。欲張りに生きています。

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そうなると、自分とは無関係な失敗談や転落話を読んで、上から目線な感覚を抱いたり、一方的で失礼な同情心を持ったりする暇などありません。

時間の使い方は今後も見直していきたいと思います。

Text / Sonoko Ikeda