「ノートに手書きでメモをとる」効用

「そんなことまでメモするの? 面白い子だね」

20代前半〜半ば頃の私が、何人もの大人からかけられた言葉です。

この「面白い」は「変わった」という意味を含んでいた印象でした。別に変わってはいないし、ただ私は忘れっぽい・記憶力がないため、メモに頼っていただけなのですが。

当時「ネタ帳」と称するノートを持ち歩き、食事や飲み会の場で出てきた、自分の脳や心が反応する事柄を記録していました。

そこに書いたものは原稿執筆や創作活動に生かしていて、文字通り「ネタ」になっていました。大袈裟に言うと、ノートは宝の山でした。

しかし、スマホに慣れてからでしょうか、いつしか私はノートを持ち歩かなくなりました。手書きの習慣が消滅したのです。

人から何か気になることを聞けばその場で検索し、検索しづらいときは「後ですればいい」と単語レベルでメモ帳に入力。 

そんなやり方に変化していました。もう何年も。 

しかし、11月からノート持ち歩き生活を再開しました。松浦弥太郎さんの『エッセイストのように生きる』を読んでからです。

弥太郎さんはもちろんデジタルも活用していますが、今でもノートを持ち歩いて、思いついたことや気づきなど、何でもメモに残しているそう。

私は弥太郎さんの在り方に興味があり、その中で真似したいと思ったことは取り入れています。ノート持ち歩きもそのひとつです。

引っ張り出したのは、2年以上前、読書メモノートとして使い始めたものの、2日坊主(3日坊主以下です)で終わっていたノート。

毎日最低見開き2ページを使い、上に日付と曜日を書いて、内省や気づき、人との会話で出た面白い話やキーワード、勉強会やセミナー参加時に記録しておきたいことなどをメモしています(打ち合わせは議事録としてメンバーに共有したいためデジタルで残します)。

1440分の使い方』(ケビン・クルーズ)にもありますが、PCでとったメモとノートでとったメモでは、後者の方がその内容を思い出しやすいといいます。

これはとてもよく分かります。というのも、私は10月から放送大学の学生となり、中東の政治を勉強中です。

インターネット授業を聴きながら、情報を整理する目的でメモをとっていますが、PCでとったメモとノートにとったメモとでは、後者の方が記憶は鮮やかかつ具体的です。

PCだとできるだけ正確にメモをとろうと必死になります。速記係のように。 

手書きだと限界があるので、必要最低限の情報を略語や図、矢印などを交えて、端的にまとめざるを得ません。でも、むしろそれが脳を使っている感覚にもなります。

ノート持ち歩き生活、私は再開して良かったです。

見直せば、その日なぜその言葉を記録しているか、大体思い出すことができますし、前後の会話も蘇ってくる場合があります。

そこで書いた事柄は人生にも大いに生きています。ということで、食事中に私がノートを取り出しても、あたたかい目で見守ってください。

Text / Sonoko Ikeda

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