他人の思いはコントロールできない。当たり前のことですが、ときにそれを忘れていて、はっとすることがあります。
たとえば、「こちらが相手に関心を持っても、相手がこちらに関心を持つとは限らない」こと。
この後で話す事例は恋愛絡みではありませんが、恋愛に限らず人間関係全般でいえる話です。
とある仕事関係者。Xのタイムラインで、その人のポストが流れてくることがあります。
その人の新たな活動を知った私は、その人が送ってくる事務的なメッセージに返信する際、短い雑談のような形で一言二言、それについて触れることがありました。
有料の作品を購入して、感想を伝えたこともあります。純粋に、活動をいいなと感じ、発信物を見たいと思ったからです。
その人はお礼を伝えてくれて、私のアクションに喜んでくれたようですが、こちらの活動や発信には一切言及はなし。
そんなやりとりを経て、「返報性の法則が機能しない人もいるのね。そりゃ当然か」と解釈しながら、自分が若干の不満を抱いたのに気づきました。
「1ミリくらいはこちらに関心を持ってくれてもいいのに」「ちょっとくらいはこちらのXを見て、活動に軽く触れてくれてもいいのに」と心の底で思ったのです。
しかし、その後「この感情って自分勝手じゃないか?」と自身に批判的な感情を抱きました。
仕事でつながりがあるからと言って、私とその人が友達になることはなく、あくまで知人レベルの関係です。
いや、友達であっても「もっと関心を持ってよ」と思うのはおかしな話で、関心を持たなければいけない義務もないでしょう。
関心を持つのは相手の勝手であり、心の自然な動きに基づいています。
「関心を寄せたのだから、1%くらいはあなたも返してよ」といった願いを抱くのは、関心の押しつけでしかありません。
この一連の自分の感情の動きや気づきは、改めて他人に対し「求めないこと」の大切さを自分に教えてくれる機会になりました。
そして、何かを発信しても、それは一部の人にだけが見ていて、大部分の人には届いていないことも自覚しています。
だからこそ発信し続けたり、繰り返し伝えたりといった粘り強さも忘れてはならない。そんなことを考えています。
Text / Sonoko Ikeda