「数円にシビアな感性」を持っていたい

「1円を笑う者は1円に泣く」。これまで何度か目にしてきた言葉です。

私はそれを信じているので、道端に1円玉が落ちているのを見つけると拾います。

1円玉は交番に持っていかず、帰宅後に洗って水気をとって自分の財布に入れます。

(経験上、交番に遺失物を届けにいくと、移動時間に加え、書類作成のため最低でも15分程度拘束されます。

警察官も1円単位で持ち込まれると仕事が増えすぎて大変だろう、との想像をもとに行動しています)

それくらい、1円を大切にしている方だと自覚していましたが、そうでもなかったと気付かされる出来事がありました。

某社の社長からお話を聞く機会があったときのこと。

「かける必要のない数円をケチる感性を持っているかどうか(※「ケチ」にはネガティブな意味合いがありますが、その文脈では適切な言い回しだと感じたため、そのまま書いています)」という内容がありました。

具体的にいうと、会社で白黒コピーで事足りる資料をカラーコピーで印刷しているケースがある、という話です。

いち社員にとって、会社のコピー機で印刷=会社の経費で落ちるもの、という認識は当然かつ事実でもあります。

それでも、だからといって、コストの高いカラーコピーを選択する必要はなく、白黒コピーで十分なものは白黒の設定にすればいいわけです。

そこには少なからず「人の金だから(自分には)関係ない」「自分が金を出すわけじゃないし」の意識があるでしょう。

自分の会社員時代を振り返ると、コピー機はほとんど使っていませんでしたが、「不要な電気を消そう」といった、会社のコストを削減しようとする感性は持っていませんでした。

そんな出来事があったのち、自宅での「紙の使い方」を見直しました。

出店しているAmazonマーケットプレイスで納品書を印刷するときや、税理士に経理関係書類を印刷して提出するときなどに使う紙を「古紙」に変えたのです。

印刷ミスしたものや非機密情報が印刷されたものなど、再利用しても問題ないと考えられる古紙です。

そもそも、納品書や情報整理用の資料を、まっさらなきれいな紙に印刷する必要はないのでは? と考えたからです。

私もAmazonマーケットプレイスで古書を買うことがありますが、納品書はすぐに古紙回収用の封筒へと入れます。裏面を確認することもありません。

税理士への書類は現金出納帳、銀行口座明細、クレジットカード明細などいろいろありますが、それらの裏に別の文字が印刷されているからといって、不都合なことはないでしょう。

紙も自分で購入しているもので、1枚数円程度かかっています。お金だけでなく、資源を使っていることになります。

不要なお金や資源は使わず、モノを大切にする。これは「吝嗇になる」という意味ではありません。あくまで、お金も資源も無駄にするような使い方はしない、ということ。

先日『サステイナブルに暮らしたい ―地球とつながる自由な生き方―』(服部雄一郎、服部麻子)を読んだこともあってか、そんな当たり前の決意を新たにしました。

Text / Sonoko Ikeda