公共交通機関で本を読む人をほとんど見なくなりました。
9割近くの人が丸めた背中でスマホを凝視するのが当たり前の世界。10年前、誰がこれを予想できたでしょうか。
そんな景色に溶け込むことなく、私は電車やバスに乗る時間を読書に充てています。
とはいえ、今住んでいる福岡はコンパクトシティゆえ、近隣だと徒歩か自転車移動で済みます。電車やバスに乗る機会は多くなく、乗車時間も長いとは限りません。
ただ、片道20〜30分の乗車時間があるとき、内心「やったー!」と思う私がいます。
最近、家での読書では有名なポモドーロ・テクニックを使い、Google Homeに25分のタイマーを依頼し、25分集中+5分休憩というリズムで進めています。
25分というのは短くはなく長すぎない、ほどよくまとまった時間で、一定量を読み込めます。
それくらいの時間があれば、細切れの読書にならず、「本を読み進めた」満足感を得られるのです。
昨日、筑紫野市にある骨董店「トレモロ」へ、塵取りを目当てに行ってきました。西鉄平尾駅から乗車して、大橋で急行に乗り換えると片道20分。
帰りは人が少ない空間でのんびりしたかったので、朝倉街道駅から普通電車に片道30分乗っていました。時間にして合計50分。
25分×2セットの読書ができたことになります。読んでいたのは吉本ばななさんの『小説家としての生き方 100箇条』。
文字数が少ないため読了でき、さらに別の本にまで手を出すことができたほど。
『小説家としての生き方 100箇条』は、吉本さんの小説作品とはまったく異なる味わいで、さらさら読めて気づきのある1冊です。
私は小説家ではないですが、モノを書く人間として、この先も書き続けたい人間として本書を手に取りました。
がつんと来たのは「037」の言葉。
産まない人生を選んだ場合、汗をかかない、他者のウンコに触らない、料理をしない、洗濯物を干さない、そんな生活をしてはならない。手がダメになり、文章がダメになる。
『小説家としての生き方 100箇条』P78より引用
人間らしい営みと距離を置きすぎた、生活感のない状態に身を置きすぎると、人間を描けなくなるということなのかもしれません。
産まない人生を選んだ私は、このまま生きていると「他者のウンコに触らない」生活を送るはずでしたが、近く猫と暮らす生活に入る予定です。
猫を「赤ちゃん」「子ども」「家族」と捉えて生きる暮らし。私が生殺与奪の権を握る他者を観察し、食事を提供し、排泄物を処理し、健康管理をし、愛情を注ぐ暮らし。
そんな生活感あふれる生活の中で、これまで書けなかったモノが、新たなテーマが書けるようになるのだと期待しています。
Text / Sonoko Ikeda