「おおらかであってもいいこと」を正しく判断する

生活において「ルーティンのようなもの」はあっても、執着しないようにしています。

たとえば、猫と暮らす前の私は、毎朝8時頃から掃除機をかけていました。1日の始まりに部屋をきれいにするのが習慣だったからです。

しかし、猫と同居するようになってからは、必ずしもそうはいかない日もあります。

私が毎朝6〜7時に起きて寝室から居間に行くと、猫は私を待ち構えているかのようにこちらを向いて座り込んでいて、しばらくして朝のフードをカリカリと食べます。

食欲を満たした後は、「遊んで」と鳴き声で訴えてきて、それに応じるか応じないかは時と場合によりますが、その後、午前中は昼寝に入ることが多いのです。

猫が寝ている間、マキタの掃除機は比較的小さな音とはいえ、かけると眠りの邪魔をして可哀想だなと考え、掃除は控えます。

大きな音を苦手とする猫のためにと買っておいた棕櫚箒​​は使いこなせていなくて、部屋の隅で飾りと化しています。

猫が眠っている間をチャンスと捉え、「静かに掃除をする」とお題を決めて、練習すればいいのですが、あいにく掃除機に慣れきった私は箒という「現状の外」にあるアイテムに手を出せないままでいます。

そんなわけで、やることや出かける予定の入り方によっては、夜まで掃除をしないこともあります。

私は朝掃除ができなくて、その後もやることがあり、午後に出かけて夕方まで帰ってこない。猫はぐっすり眠っている——そんな日は夜早めの時間に掃除機をかけるか、あるいは翌朝に回すかとなります。

幸いなことに、うちの猫はヘアレスキャットなので、毛が落ちることはありません。落ちている毛のほとんどは人間の髪の毛です。

だから1日2日、それ以上掃除をしなくても、生きていけなくはありません。私の髪の毛がパラパラと落ちて見苦しさがある程度。

それでも「必ず掃除しなければ」という義務感にとらわれるのは苦しいものです。

「1日くらいいいや」と片づけられる事柄かどうか。その判断を間違えなければ、おおらかに向き合っていいこともあると思っています。

Text / Sonoko Ikeda