「理想の自分」を具体的にイメージしておくと、そこから外れた行動はしないものだなあと気づく出来事がありました。
週末、出かけた先で立ち寄ったカフェでのこと。
「お食事にされますか? カフェにされますか?」と聞いてきたホールスタッフさんに「カフェで」と答えると、スイーツメニューを紹介してくれました。
うーん、美味しそう……。思わず見入ってしまいます。
ヘルシーな素材で作られたであろう、魅力的な品々が並んでいました。
オーダーしたくなる気持ちがよぎるも、「ちょっと」ともうひとりの私が制してきます。
3月下旬から、PFCバランスに配慮した食事内容を記録して、一定のカロリーコントロールをしながら、トレーニング×食事で身体づくりをしている私。
「理想の身体を手に入れた自分」がこの場にいたら、どんな選択をとるだろうか? と考えます。
答えはすぐに出ます。ひとりで仕事をするために入ったカフェでの時間は、何ら特別なひとときではありません。
いわば「日常」。そこでスイーツを食べる意味はあるか? と問いかけます。
その問いへの答えはNO。そこまで落とし込めば、アイスコーヒーをオーダーするのみです。
スイーツへの興味や執着はすぐに消えていました。周りのほとんどが食べていても「羨ましい」気持ちは湧いてきません。
なぜなら、理想の自分は、何でもないときにスイーツを口にせず、自制できる精神を持った人だから。
それゆえに、うっすらと縦線の入る、サイドが削れた厚みのないお腹を維持できるのです。
一方で、自分にとって「特別なとき」と判断したシーンでは、スイーツをいただくことがあります。
ちょうど4日前、パートナーが買ってくれた美味しいケーキをおやつに食べました。1ヶ月ぶりのスイーツです。
誕生日でも記念日でもありませんが、一緒に楽しみたかったから、ふたりの時間にケーキを取り入れることに、心から賛成しました。
ひとりであれば、今の私ならまず摂取しないモノです。
ただし、「2個ずつ買うよ?」という魅惑的な誘いには、「1個にする」と鉄の意志で応じましたが(鉄の意志といえば、棚橋弘至さんです)。
食事に限らず、行動で迷いが生じたときは、「理想の自分ならどうするか?」視点で考えることで、最善を選択できるような気がします。
Text / Sonoko Ikeda