お金と人間関係の位置関係

生きているといろいろな不条理が降りかかってくる。
自分の尊厳を揺るがすような不条理な出来事の多くは人間関係にあると思っている。

ある職場での出来事。
医学書に書かれている通りに検査のオーダーを提出したところ、上司より物言いがついた。

上司の経験では~、から始まる指摘は的外れで、専門家としても個人のいち意見であった。
こうなると患者の最大限のメリットを提供したい医療から、上司のいち意見に、言ってみれば上司の提供したい医療に変わってしまう。

患者が最大限の利益を享受するよりも、上司の提供したい医療を提供することの何が問題なのか。

仕事というのは誰かに貢献するために行う行為だ。
その理念を上司というわけの分からない圧力で捻じ曲げられてしまう場合がある。
従わなければ最悪クビを切られうるし、定年を迎えるまで左遷されたり要職を外されたりする。こういうことがまかり通る社会は、本当に未熟な社会だと思うが、おそらくは世界共通のあるあるで、おそらくは日本社会に強く残る悪習なのだと思っている。

上司の提供したい医療がすなわち患者の利益の最大化につながるのなら、もちろんその命令に従うべきなのだが、往々にして医学の理念からは程遠い行為に決着する。

こんなことが日本の社会では繰り返されている。
特に医療の世界は。
地方都市の中核病院で働いた経験のなかで、このような事例は挙げればきりがない。

優秀なサラリーマンは不条理をものともせず前進あるのみ、といったところ。
自分も「まあ、そんなことはあるよね」と言い聞かせてきた。

不条理に目を閉じて過ごす。
不条理に目が慣れてくる。
不条理な行動を許容できない自分がいる。

不条理に歯を食いしばり、次に起こる不条理の波に耐えられるだろうかと、苦しむ自分がいる。

仕事を辞めればその日から文無し。不労所得などないのが医師であるのだから、年俸は高めだが辞めたら収入が途絶える構造は、多くの日本人と大差がないのではないだろうか。これを金持ちとは言わない。

こんなときに生活に困らない経済的自由を手にしたい。そう心底思ってから初めて株式投資を勉強し始めた。

一方で、豊かさを享受している人たちがいる。
このエッセイを読んでみてほしい。

この人たちがいる世界は本当にお同じ日本なのだろうかと、疑問に思うほどこのエッセイを読むと豊かさを感じてしまう。
誰かと繋がって生きていくことが大金を得て暮らすことよりも、どうも豊かそうに感じる。そう感じるのは私だけだろうか。

このふたつの事象から自分の行動をどうするのか? というと、いささか短絡的に感じるかもしれない。しかし、生きる上での最適解のヒントになるのではないだろうか。

すなわち、不条理を跳ねのける経済力と、人と確かに繋がっているという豊かさだ。

他人を慮る気持ち。コミュニティや個人との関わりで、相互に想い合う関係そのものは大きな財産だろう。その財産を守る力のひとつに経済力があるのかもしれない。

お金と人間関係の位置関係。その時々で変化し得るものであろうが、ひとつの気づきとして伝えたい。

Text / Dr.Taro

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