人の愛を笑うな、イジるな

ここ10日ほどメディアがしつこく取り上げている某有名人の不倫。テレビを持たない私はワイドショーを見ませんが、SNSで傍観する限り、やりたい放題の様子です。

特に政治関係を筆頭に、ほかに報道すべき事柄、時間をかけて平易に解説すべき事柄があるはずですが。 

ただ、名が知れた人の不倫というのは、「重要なトピック」から大衆の目を逸らし、考えることを放棄させるにはもってこいの上ネタであり、今後も可能な限り引き延ばすことでしょう。 

メディアの大罪や裏側、これまでもメディアがたびたびしてきた、特定の人物を人身御供にした悪質な加害行為を知らない方には、手始めに『テレビは見るな!新聞は取るな!』を読むことをおすすめします。

さて、今回の不倫騒動です(マスコミが勝手に騒ぎ立てて、品なく囃し立てて、事を大きくして、犯罪者でもない当事者の人生を壊しにかかっているように見えます)。

当事者のひとりである俳優は自筆の手紙が晒され、不倫を認めた後は無期限謹慎となり、CMや連載も削除されています。

後追い報道も執拗に出続けています。SNSでこの話題を“餌”にして“釣り”を楽しんでいる人々も多くいます。私の周りも例外ではありません。

「夫がこの女性からアプローチされて不倫しても、仕方ないかと思える」「手紙の文章が気持ち悪い」「令和の時代に手紙なんて」など、嬉々として好き勝手にものを言い、いいね!集めのネタにしているのを何度も目にして、不快になりました。

率直に、不思議でなりませんでした。なぜこの大人たちは、他人の真剣な愛を軽々しく嘲り、「“面白いことを言っている自分”ブランディング」に利用できるのだろうと。 

それらを見て、一度たりとも笑えず、顔が引き攣りました。当事者の間に生まれた愛が、彼らに踏み荒らされたことに悲しみをおぼえます。 

私は今回の件に限らず、他人の間に育まれた愛をイジることはできません。当人同士にとって愛とは尊いもので、各人がどんな状況であれ、愛に溺れるのも奇妙なことではないと考えているからです。

全世界には約80億人の人間が存在していますが、一生のうちに出会って直接的な関わりを持つ人間は多くて1万人程度だと聞いたことがあります。

それを踏まえても、出会って、互いに興味を持って、何度か会って、親密な関係になって、本気の愛情が生まれる相手なんて、ほんの一握りに過ぎないわけです。 

愛し、愛される関係は奇跡に他なりません。これまで恋愛・結婚を経験し、パートナーとして付き合ってきたお相手は10人程度ですが、心から身を委ねることのできた関係性はその中でも限定されます。

こんな表現をすると笑われるかもしれませんが、「運命の出会い」はありますが、滅多に降ってくるものではありません。

そして、その稀有な相手には素の自分をさらけ出すこと、代々木忠監督が過去の著作で語っていた「心から裸になる」ようなこともできるのだと思います。

他人には話せないことを話せたり、他人の前ではできない振る舞いができたり、客観視すると恥ずかしいようなこと、おかしなことも自然体で行動に移したり——。

そんな経験はないでしょうか。そんな相手がかつていた、今そばにいる、という方もいるのではないでしょうか。

私にはその類の経験があり、今のパートナーが特別な存在だからこそ、相手を心から愛して、素で向き合った当事者を見て「奇跡だったんですね」と思うんです。

人は理性だけをコントロールして他人と向き合っているわけではありません。感性が優位になって動くこともあります。

もう、この手のプライバシーを侵害する報道はもちろん、後味の悪さしか残らない個別具体的な情報を出す報道、無関係な一般人から当事者へのバッシングを助長する報道、それによる作品の削除や罰としての謹慎や強制的な降板はやめてほしいものです。

これは犯罪ではなく、一種の愛の形といえます。現代の結婚制度含め、愛の在り方を考える番組を作る方が有意義ですが、メディアを支配する層が力を持ち続ける限り、メディアのやり方を変えるのは困難です。

それでも、目覚めた人、違和感をおぼえる人が、小さき声を上げていくことが大事なのだと考えています。

Text / Sonoko Ikeda