嫌いだった脚を好きになれた日のこと

身近な人が私の太ももを一瞥して、「競輪選手」とつぶやいたことがあります。

悪口ではなく、驚きと冗談、太ももへの愛のミックスです。

そう、私の脚はそれほど太く、逞しいのです。

私の脚が繰り出す蹴りを受けると相当痛いと思います。それほどに強そうな脚をしています。

ただ、この脚が嫌いでした。華奢な脚に憧れがあると、太い脚を好きにはなれないものです。

しかし、2018〜2019年頃、格闘家の青木真也さんが、膝上のショートパンツを穿いていた私に「池田さん、いいふくらはぎしてるね」と言ってくれました。

世界を舞台に第一線で活躍する格闘家から、ふくらはぎの筋肉を認めてもらったその瞬間から、私は自分の脚(当時はとくにふくらはぎ)が嫌いではなくなったのを記憶しています。

太くて重々しい、おしゃれには見えないふくらはぎが、格闘家が「鍛えている」と見てくれる、アスリート的なふくらはぎになった感じ。

大袈裟かもしれませんが、「誇らしい」とも思いました。

それから約5年。契約しているエニタイムフィットネスには、たいてい半スボンでトレーニングしに行きます。

言い換えると、力強さあふれる下肢をいつも放り出しています。「半ズボンの快適さに慣れた」「脚の筋肉の動きを見たい」「今は暑い季節だから」というのが理由です。

そんななか、一度だけかるいやりとりをしたことのあるジムの会員さんから、先日話しかけられて、会話の中で脚の筋肉を褒められたんです。

「締まっている」とその人は言いました。

本人としては、太ももにセルライトもたっぷりあれば、触ればぷよぷよしているし、筋肉の上に脂肪がついているであろう、という脚ではありますが、昔、青木さんからかけられた言葉を思い出すきっかけになりました。

自分が好きになれない部位は、誰かから見ると「かっこいい」「いけてる」部位かもしれません。

他人の評価を気にしすぎるのも、一喜一憂しすぎるのも、自分軸のなさや自己肯定感の低さだと捉えられます。

一方で、他人からかけられた言葉をありがたいものとして受け止め、嫌いだった部位を好きになるきっかけのひとつにするのは、悪いことでもないと思っています。

うれしい言葉は拡大解釈して、自分の中に大切な褒め言葉として蓄積していくことにしています。今回もそうです。

明日もトレーニング。半ズボンで、生命力あふれる脚をドーンと出して向かいます。

Text / Sonoko Ikeda

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