SNSアプリを消去したら、私自身と向き合えるようになった

XとFacebookのアプリをスマホからアンインストールしました。

と同時に、XとFacebookを使うのはPCのブラウザからにして、朝・昼・晩の3回以内と決めて運用しています。

「PCから」かつ「1日3回以内」なので、PCをあまり触らない日は1〜2回ちらっと見る程度です。

慣れると、いかに自分が無意味・無意識に、とくにXにアクセスしていたかを痛感しました。

外出先でのちょっとした空き時間。メールやSlackなどをチェックし、その場で対応できるものは対応した後、時間が余ればXを開く。本を読むのに飽きたらXを開く。

そんな過ごし方をしていました。Xで告知したいこともあり、発信を見たい人もいて、今でもXは必要なプラットフォームです。

ただ、たとえ1回あたり2〜3分程度と細切れであっても、そこへ命にも等しい時間を注いでいたなと気づきました。

インフルエンサーでもない私には、Xに対してそこまで時間をかける必要はありません。発信しなくてもいい発言(とりたてて誰かの役に立たないであろう発言)もこれまで相当量あります。

自分自身の発信内容に限らず、膨大な情報が延々と流れ続ける中で、キャッチしなくてもいい情報の方がむしろ多いです。

知らなくても困らない、知らなかったところで生命に何の影響もない、そんな事柄もたくさんあります。

最近の私は、ライフワークともいえるこのメディア「SAVOR LIFE」での発信や読書や動画からのインプット、映画・ドラマ鑑賞と同等に、内省して本来の自分を知る時間を過ごしたり、頭の中を整理したりする時間をより多く設けたくなっています。

そのタイミングでXとFacebookのアプリを削除し、見る機会を限定化しました。

これにより、先のWANT TOが叶い、自分というものに多少なりとも向き合うことができたり、自己顕示欲を収めたり、有限な時間をしたいことに回したりできるようになっています。

XとFacebookは10年以上使っていますが、アプリを消去して1日のアクセス回数を制限したのは初めてのことです。

でも、これがいいと感じています。しばらく、いや、希望はこの先ずっと、SNSとはこれくらいの近すぎない距離感で過ごしていきたいと思っています。

私はSNSの中で生きているのではなく、現実を生きている。そんな当たり前を忘れずにいたいです。

Text / Sonoko Ikeda

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