今の積み重ねが人生をつくる – 麟翁寺で学んだこと

「死」が身近にあると感じるようになりました。

というのも、まわりの人たちが家族、とくに親の死に立ち会う機会が増えているからです。

私も37歳といい大人になりました。だからなのか、とくにひとまわり〜ふたまわりほど年上の友人知人が、親とお別れするケースが立て続けにありました。

ただ、自分も10〜20年後には「そのとき」に立ち会うのかと想像しても、現実味がわかずにいます。

私が直面した「自分に近い人」の死といえば、4人の祖父母のうちの3人と叔父(父の兄)です。

祖父母も叔父も、実の親と比べると関係性の薄い間柄です。だから悲しみを抱えたとはいえ、親を亡くすときの喪失感の大きさとは比べ物にならないような気もします。

そんな私ですが、生と死は一本の線でつながっていると捉えています。

各人の終わりのタイミングを決めるのは神様や宇宙の大きな存在であり、我々人間にはどうしようもできない領域だ、とも。

生と死の時期は各々事前に定められていて、そんな「自然」に逆らいたくないのは、不自然なことをして、神様の決定事項に反対したくないからです。

でも、誰かの生命が弱っていくのを見る過程で、やはりまだ生きていてほしい、生かしてください、と神様に対し厚かましくも「お願い」をしてしまうのでしょうか。

あるいは自分自身が死を前にしたとき、まだ生きていたいという欲が芽生えるのでしょうか。分かりません。

麟翁寺での体験

先日、友人からご縁をつないでいただき、麟翁寺(福岡県嘉麻市)で「死の体験旅行」や「入棺体験」「坐禅」などのワークショップに参加させていただく機会がありました。

麟翁寺は曹洞宗の寺院であり、黒田八虎のひとりである、母里太兵衛友信(もり たへえ とものぶ)の菩提寺として知られます。とても美しい景色に囲まれたお寺です。

完成して3年ほどという建物はピカピカで、木の匂いが心地よい、風通しの良い場所でした。お寺は「人が集まる明るい場所」でもあるとイメージできる空間でもありました。

イベントやワークショップにも使える部屋がたくさんありました。実際、集まりごとに活用されることもあるといいます。

ワークショップに話を戻すと、「死の体験旅行って?」と気になった方もいると思います。ネタバレはNGなので、公式サイトから概要を引用します。

自分にとって大切なものを書き出し、ファシリテーターが語るストーリーに合わせて、時には諦め、時には手放し、そして「いのち」を終える物語を味わいます。
「死の体験旅行」より引用

本当に必要なモノはそう多くなくて、限られた命を大事にして、生をまっとうするには、何もかも抱えっぱなしでいては難しいと感じました。

抱えるものがたくさんありすぎると、身動きをとるのも難しいですし、かろやかに動けません。選択肢も多く、判断もしづらくなるでしょう。

「今、この瞬間」を懸命に生きていく

ただ、元気でエネルギーに満ちた今現在でも「少ないモノを持つ」「優先順位を真剣に考える」「縛られない」「時間は有限である」などのスタンスは維持したいなと、自分の振る舞いを見直すきっかけをいただきました。

極端な話、明日、突然死ぬかもしれないのですから。人生の幕開きも幕切れも神様の采配です。

いつ、どうなるかは、自分にも誰にも分からない。そうなると、ご住職が法話の中でおっしゃっていた「今を生きる」「今に集中する」在り方へともつながっていきます。

今の積み重ねで1日ができて、1日の積み重ねで1週間、1ヶ月、1年、10年と、人生が積み上がっていく。だから、今を大切にすることが、後悔のない人生に結びつくのだ、と。そんなお話もとても納得感がありました。

今、その瞬間にフォーカスして生きていく。今を全力で過ごす。常に多くの情報と触れたり、細々としたTo Doで溢れる中、これは容易いことではありませんが、できる限りいつも意識しておきたい考え方です。

今回、すべてのワークショップを案内してくださったのはご住職でした。そのほかにも施設内を案内いただいたり、ありがたい法話を頂戴したりも。

仏教の普遍的な教えが、弱い自分を支えてくれたり、誤った道に進もうとしているのを止めてくれたり、休憩を促してくれたりすることがあるのだろうな、とも感じました。

また麟翁寺にお参りして、現地での空気にふれたり、ご住職の言葉を聞いたりしたいです。大事な人たちを連れて、前向きな時間を過ごすため、伺いたいなと考えています。

Text / Sonoko Ikeda

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