人から何を言われようと、自分の未来には無関係

知人が、別の人から自分の活動を否定するような言葉をかけられたそうで、「私のしてきたことは間違っていたのかな、と考えてしまいました」と、私に心情を吐露してきました。

メッセージには、どういう流れで、どういうことを言われたのかが、かなりの長文で書かれていて、相当思い悩んでいる様子が伝わってきます。

翌朝、連投するように冒頭のメッセージが届きました。「どうして、こんな言われ方をされないといけないのでしょう」とも添えられていました。

私は「あまり気にしなくていいんじゃないですか。相手はあなたに言葉をぶつけたいだけです」と、あっさりした返事をしました。

するとお礼と共に、少し元気になったような返事が届き、良かったと思ったのです。深く介入すると、この人はより思い悩んで、袋小路に入るだろうと考えたからです。

上から目線かつネガティブに相手を批評してくる人は存在します。私はこの手のタイプに遭遇することは少ないですが、一定数いるのは分かっています。

でも、言わせておけばいいのです。相手は言いたいことを言えばすっきりします。

その間、聞きながら「どうしてこの人はそんなことを言うのだろう?」とWHYを考えても意味や生産性はありません。

相手には相手の行動原理があります。ただ、それだけ。

聞きながら別のことを考えてもいいし、「相手にとって自分はこう見えているんだね」と受け止めるのもいいです。

お互い違う「フィルター」を持っているため、世界の見え方も受け止め方も異なるもの。

言いたい人には言わせておけばいいのです。それは、ただの感想。

SNSも同様です。「これ、自分に対して言われている……?」とモヤッとするエアリプがあったとすれば、同じように処理すればOK。

相手は息をするように、何の気なしに、その言葉を放っただけです。狙って放っているなら確信犯で、単に性格の悪い人。

「言いたかったのね」と受け流して、その発言は自分とは関係ないこととして、次の瞬間には頭から手放します。そうすれば引きずることはありません。

他人の発言を間に受けて、嫌な感情を引きずり続けるのは、自分を傷めつける行為です。

あえて厳しいことを言って自分を諌めてくれる人、気づきをくれる人もときにいますが、そんな人はごく少数。

ほとんどの余計な言葉はノイズと捉えて、気に病むことなく、未来思考でありたいものです。

Text / Sonoko Ikeda

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