言葉というギフトについて考える

家族、夫婦、上司関係、親しい間柄の中でやりとりされる、言葉を贈る・言葉をプレゼントするというフレーズを本の中などでよく見聞きしてきましたが、改めてこれについて考えてみました。

直接ではなく、SNSのコメントを介してですが、先日「言葉のギフトをいただいた」と思いました。
デジタル上でも、その言葉を受け取ったときの気持ちは手紙と変わりません。

それを機に、私も日頃からそんな「言葉のギフト」をひとつでも多く、誰かにメッセージとして届けられる人になりたいと思いました。

うれしくなる言葉をもらったとき、その場は「ありがとうございます」と答えて終了することが多いのですが、できれば次の行動として、私は送り手の方にささやかにでも「恩返し」のようなことができればいいなと思っています。

たとえば次に顔を合わせることができたときをチャンスに、小さな手土産をすること。
通りすがりで見つけた小さな良品、相手が喜びそうだと思う気持ちと、たくさんの良品を手にできていて「この幸せをシェアしたい」という気持ちが重なったときのお裾分けなど。

今の相手のニーズにぴったりはまるギフトを準備できる自信などないので、自分らしく相手を思う気持ちを何かしら表し、少しでも手書きでメッセージを付けるのが私の理想です。

いつまでも恩返しをしたい存在。その第一に思いつくのは、おばあちゃんです。

多感な時期に、言葉のギフトシャワーをたくさん浴びせてくれた存在だと今でも確信しているからです。

生粋の「おばあちゃん子」だった私は幼い頃から小学生までおばあちゃんが側にいた時間が母以上に多かったので、祖父母の家で過ごした思い出が多く残っています。

特に夏は、祖父母の家で過ごした思い出を振り返る方も多いと思いますが、私も同じです。

「あんちゃんは、こういうの、お上手ね」
「今日は、ほんとうに、たくさん食べてえらいわ~」
「すご~い、お勉強よくがんばったのね」
「よく泳いだね、楽しかったね」
……

最後のプールでの思い出を始め、一緒にお出かけやプールに行った夏は過ぎてしまいましたが、顔を合わせてお喋りできることすらなくなってしまった今も、かけてくれたやさしい言葉たちがきらきらと脳裏に甦ってきます。

2023年9月に『暮しの手帖』が創刊75周年を迎え、初旬に記念別冊『わたしと暮しの手帖』が発行されます。

少し宣伝めいてしまうのですが、祖母が愛読していた『暮しの手帖』を受け継ぐきっかけを作ってくれた、ある誌面企画を通して思い出のエピソードを提供し、私のショートエッセイが掲載されています。

何か恩返しをしたい。

そんな気持ちが高まる毎年9月の敬老の日、これまではいろいろな形で「モノ」で贈ってきたおばあちゃんに、今年は初めてモノではなく、言葉のギフトができること。それがうれしくてたまりません。

Text / Anna Koshizuka

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