SNSは、投稿方法にルールはあれど、発信する内容はアカウント主の判断に委ねられています。
個人の何気ない日常のつぶやきから、戦略的に顧客獲得を目指す企業アカウントの投稿までが同じタイムラインに並びます。
フォローし合う関係性も様々で、オフラインで頻繁に会う関係から、何かの拍子にお互いの存在を知り、遠くから見守っているレベルまでケースバイケースです。
何を云うか
どんな発信をするか、利用目的は個人の自由ですが、他者が受ける印象をコントロールすることは難しいことです。
こちらが「こう受け取ってほしい」と思っていたとしても、与える印象はあくまで他者の感じ方。
だとしたら。どう発信するか?
例えば、不安を撒き散らして同情や注目を得たい、ひどい扱いを受けたので自分の正しさを証明したい。それを発して周りが受け取った結果、どうなるかを考えたことはありますか?
SNSは、感情の吐き出し先として、便利なツールであることは間違いありません。
ただ、受け取った人のこと、さらにそれほど関係性も深くない相手のことを少し想像すると、申し訳ない気持ちになります。
いつも穏やかな人がめずらしく心配事を吐露するのと、いつも怒っている人が優しさを見せるのとでは、周囲に与えるイメージはかなり違うでしょう。
「悔しい」
「悲しい」
「自分が正しい」
を発したその先をどう考えるかは、けっこう重要なことだと思うのです。
せっかくなら上手く使いたい
人と繋がる便利なツールですから、上手く使って良い影響を与え合いたいと、日々感じています。
私も若い頃は、ネガティブな投稿をしていたこともあります。心が少しずつ大人になっていく過程で「それだけはやめよう」と、ある日思ったのです。
その理由は、「この人いつも嘆いているな。こちらが参ってしまいそうだからミュートしよう」と思うことがあったから。自分もそうなってはいけない、と強く思ったのです。
それ以降、SNSを介して出会う人たちが増え、交流する機会が増えていったと思います。そのほとんどの関係が穏やかで、自分にとってはSNSが楽しい場所になりました。
リアルな場で会ったときに「いつもの投稿を楽しみにしています」「〇〇、楽しそうでしたね」と仰っていただくケースも増えました。こちらからも相手の良いところを伝えるようにしています。
これが何を意味するかというと、「わざわざSNS上で感想を伝えるほどでもない」ということでしょう。
自分は「どちら側」にいたいのか
そもそも日々ネガティブ発信をしている人に、会いたいと感じるケースは少ない。わざわざ指摘するほどでもない。となると自然と人はいなくなります。
短い文章だからこそ、ネガティブな感情は強調されてしまいます。人間なのでどうしても恨み節は出てしまうものですけどね。
そんなときは、落ち着いた環境で、信頼できる相手だけに聞いてもらうのが良いでしょう。家族や近しい同業者との会話でいつの間にか昇華していた、なんてことも多いはず。
大人になると友人は減っていくと言われますが、SNSや仕事を通じて出会った大人の信頼関係も良いものだと思います。
要は、「聞く体制」がそこにあるかどうかの違い。
気分良く過ごしているところに誰かのネガティブが入り込んでくる。SNSではそれが起こり得ます。
自分がそのどちら側にいたいのか、ということなのだと思います。
SNSではできるだけポジティブを心がけ、好循環を作り出していきたいものです。
Text / Taichi Akasaka
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