シェアの精神に見る、本質的に「豊かな暮らし」

気に入っていたくすみブルーのシャーペンが壊れました。

芯を入れ替えてカチカチしても、芯がまったく出てこないのです。分解しても上手く機能しない理由が分かりません。

「壊れたから別のを買う」でいいのか?

「シャーペンは残り1本だから、これを処分して新たな1本を買おう」と思ったところで、これ以上シャーペンを持つ必要はあるだろうか? と自問しました。

家で使っているシャーペンが外で必要なら持ち運べばいいし、シャーペンの代わりに鉛筆もあるし、サンスター文具「メタシル」のような削らずに書き続けられる鉛筆も揃っています。

これ以上、買う必要はあるか? いや、ない。そんな結論に至りました。

それに、手持ちのシャーペンや鉛筆すら、生きている間に使い切ることはなさそうです。

それでも今までの私なら迷わずもう1本、買っていたと思います。今あるシャーペンの予備として、もう1本くらい持っておいてもいいだろう、という安易な発想です。

別にこの考え方がおかしいとは思いませんが、消費社会に侵されている自覚はあります。

今あるモノを生かしきることをせず、必要不可欠ではない娯楽的な消費を楽しむ行動にも映ります。

「ギフトエコノミー」という思想

そんな私ですが、サステイナブルに暮らしたい ―地球とつながる自由な生き方―』で知った本ギフトエコノミー ―買わない暮らしのつくり方―』を読んでから、考え方が根本から変わりました。

本書で「買わない」を推奨しているのは、食料品や外食、生活必需品、書籍、体験系コンテンツなどを除いたモノたちです。

たとえば、家具や家電、服、アクセサリー、車など。新商品を買う体験そのものに、中毒性のあるモノも含んでいます。

すでに市場に飽和状態のモノ、尋ねれば周りの誰かが持っていそうなモノは、わざわざ新品を買うのではなく、シェアしたり、借りたりすればいい。

そうすることで、新品が誰かの手元に届くまでの各種コスト(金銭・時間・環境面)を抑えることができ、さらには介する人と人との間にコミュニケーションをもたらし、人間的な営みが発生するといったことが綴られています。

この在り方が豊かだと感じたのです。

そして、これまで安直に新しいモノを買い、不要になれば友人知人、親類、「ジモティー」などで無料で譲ってきた過去を振り返り、ああいう消費行動はしたくないなとも思いました。

譲る相手からは喜ばれますが、私の預金は減ります。それに、モノを大事に使っているとはいえません。

「買わない暮らし」を選んでいく

私も「買わない暮らし」を始めます。いや、『ギフトエコノミー』を読んでから始めています。始めたばかりですが。

そして、近々拠点を変えることになりそうですが、新たに根ざす地域で、この活動を地域レベルであくまでローカルな規模で始めたいなとも考えています。

アメリカを中心に「Buy Nothing(バイ・ナッシング)」というコミュニティが各地で根付いています。

日本でも「Buy Nothing大分」を発祥として「Buy Nothing福岡」があるなど、都道府県単位でコミュニティが形成されているケースがあります。

その中では、自分が不要なモノを欲しい人にシェアする(無料で譲るor貸す)、自分が欲しいモノを尋ねて持っているが手放したい人からシェアされる、というアクションがなされます。

お金も出て行かない、ゴミも出ない、人とのつながりができるという、いいことばかりの取り組みです。

これを町域単位、それが難しければ市町村・区単位でできれば、ご近所のつながりが生まれ、近所でモノのやりとりが迅速に行われ、近所に友達もできるかもしれません。

孤立する人を生み出さない仕掛けも作れるような気がします。

これから「本当の意味で豊かな生活とは」を問い、実践していきたいです。

Text / Sonoko Ikeda

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