「話したほうがいいこと」と「話さないほうがいいこと」を明確に分類しています。
秘密めいたことは、たったひとりに話しただけで、何らかの形で広がり、どんな形で露見し、悪影響をもたらすかわかりません。
仲の良い友人に話したい、打ち明けたい、聞いてもらいたい……そんな感情が湧き上がってきても、冷静さを取り戻し、落ち着いて考えます。
「この話をしたところで、自分や関係者、周囲に良い影響が及ぶかどうか」「利益があるかどうか」と想像します。
同時に、聞き手の立場や属性をもとに、話を聞いてくれた相手がどんな感情を抱くかもイメージします。
大体、その手の話は「NO」「やめたほうがいい」となります。そうなれば他言せず「自分の中」だけに巡らせておきます。
自分の頭と心、ときどきGoogle ドキュメントの中だけで、その話題やエピソードは浮遊させておくのです。
私だけが知っている。私だけが経験している。「私だけが」に特別感をおぼえます。
他言することで生じるリスクや失うモノの大きさを考えると、在り方は自然と決まってきます。
私の頭と心は、誰も覗くことのできない、自分だけの秘密の小部屋。そこへ「特別な記憶」としてしまいこんでおこう、と。
そのほうがはるかに賢く、持続可能な選択であることを突きつけられます。
ここまで書いて「秘すれば花」を思い浮かべました。『風姿花伝』の最終章「別紙口伝」で、世阿弥が記した言葉です。
一般的に「さらけ出すよりも、慎ましくしておく方が美しい」「隠すことでむしろ欲望を刺激できる」などと解釈されています。
しかし、これらの解釈は世阿弥の言葉の真意からはズレていて、端的に言うと「秘すれば価値(勝ち)」が本来の意味です。
そして「秘めていることすら、相手に気づかれてはいけない」という意味も行間に存在します。
昔は何でもかんでもペラペラと打ち明けていました。浅はかだったと思います。
一方で、自分にはできなかったからこそ、「秘する」ことのできる人に憧れてもいました。今は、秘すれば花のマインドを持てている気がします。
Text / Sonoko Ikeda