家族を持たず、小さなユニットで生きていく

いとこの結婚式以来、1年半ぶりに親戚と集う機会がありました。先日あった祖母の通夜・葬儀・告別式です。

諸々のセレモニーが終わって自分の生活に戻ったとき、なんともいえない疲れが押し寄せて、翌日も疲労を抱えたまま過ごし、珍しく昼寝をしたほどでした。

親戚付き合いというものが極端に苦手です。普段交わる機会のない、顔や見た目は変わっていないから覚えていても、誰がどこの家に属しているのかも分からない人たち。

いとこ関係やわりと会う機会のあった人であれば、誰が誰かは分かるものの、話題に困ってしまい、その場にいるのがしんどく感じられます。

そんなときは人のいない部屋に行って仕事をしたり、近隣へひとり散歩に出かけたりと「小さく逃げる」ことを選択しています。

「大人げない」と思う人もいるかもしれませんが、誰にも迷惑をかけない行為ですし、自分の精神をすり減らさないためにも「必要な逃避」だと考えています。

親戚の中にはある程度話せる相手もいるものの、基本的には「親戚とのコミュニケーション力」が極度に低い自分。だから、集いの後はひとりで勝手に消耗してしまうのです。

ただ、ここまで親戚付き合いに苦手意識があると、「親戚を持たない」生き方を主体的に選択しようとする“良さ”もあります。

過去に結婚していたときは、相手がひとりっ子かつ親戚付き合いに興味ゼロな人だったのは大きな救いでした(本能で「これについては同類かも」と嗅ぎ分けていたような気がします)。

現在のパートナーにはきょうだいはいるものの、親戚付き合いをまったくしていません。

加えて、互いに既存の結婚制度を選択したいと思わない、子どもを生み育てることにも興味がないために、籍を入れる予定もなし。

そうなれば、親戚付き合いが生じる可能性はありません。自分+パートナーという小さなユニットで心地よく生きていけます。

私自身は「結婚によって家族が増える」ことに喜びを見出さないタイプです。経験や思想上、家族を持つと「背負うものが増える」というネガティブな捉え方をしています。

できる限り、かろやかに生きていきたい。そんな明確なスタンスを持って生きています。

これはこれでひとつの生き方であり、私がどんな選択をしようと自由であり、誰からとやかく言われることもなければ、別の生き方を私が否定するわけでもありません。

(自分の)好きなように生きていきましょう。

7年前に『はたらく人の結婚しない生き方』という本を書いていました。このころから考えは大きく変わっていないようです。

Text / Sonoko Ikeda