話し合いを避けると人生は前進しない

「夫、死んでほしい」

身近な女性が私とのLINEでそう言いました。半分は冗談だとは思いますが、半分は本当に疲れて言っているようでした。

かねてから状況を聞いている限り、彼女の夫は結婚後にモラハラ気質を徐々に露呈し、機嫌が悪くなると慇懃無礼な態度になったり、不貞腐れて心を閉じたりと、共に暮らすのはキツい相手だなと感じます。

最近も、もう5日近く不貞腐れていて、ろくに会話もしないのだそうです。

「そんな家に帰るの、辛くない?」

そう聞くと彼女は「嫌だよ。帰りたくないよ」と言います。

帰りたくない家か。

本来、家とは安らげる場所のはずなのに、むしろ苛立ちや苦しさが増幅する場所になっているのは、想像するだけで辛いものがあります。

2015年の秋なので、9年近くも昔になりますが、自分の過去を思い出しました。元夫とうまくいかなくなっていた時期です。

夫は帰宅すると個室に直行してしまい、居間には全然顔を出さなくなり、家の中は冷め切った空気が漂っていました。業務連絡はメッセージで行い、会話はほぼありません。

そんな家にいるのが辛いのに、結婚に執着する当時の私の非合理性が謎ですが、まずは別居をしてみないかと提案したのです。

2ヶ月ほど別居した後、それでも回復の兆しは見られなかったので、結婚生活の維持を諦めて、年明けに離婚しました。

(そこから10ヶ月後、自著『はたらく人の結婚しない生き方』を刊行しました。転んでもタダでは起きないタイプです)

それ自体は互いにとって正しい判断であって、あのとき話し合いを申し出て、精神的に辛かろうが、苦しかろうが、なんとか立ち向かったのも正解だったと思えます。

彼女が「話し合いかあ。2時間くらいかかりそう……。過去にそういう話し合いしたことある?」と聞いてきたので、「いくらでもあるわ(笑)」と返信しました。

元夫との別居や離婚を筆頭に、その後付き合った人に別れを切り出したこと、今のパートナーとも3年の間に少なくとも3回以上は何かしら長時間の話し合いをしたことetc.

「人間」や結婚・離婚・パートナーシップなどの「結びつき」「愛」「生死」などに関わる話し合いは、胆力が必要です。

ただ、その経験はまったく無駄になりません。人間という存在を学び、「次」の関係性に生かす知見も得られる機会だから。

中でも最も難しかったのは、3年と少し前にした別れに関する話し合いです。ない頭をフルに使いました。脳も心も身体本体も消耗するような説得や提案をしたのを覚えています。

正直、もうああいう話し合いはしたくありません。でも、「そのとき」が来たらするしかないと腹を括っています。人生を進めていくために、覚悟を決めています。

各種話し合いを「面倒くさい」という理由をつけて後回しにしようとする人もいますが、それは先の見通しが立たない(どう展開するか分からないし、どう話題を振っていくか、着地させたいなど、自ら進めたい方向性すら不明確な状態)から。

話し合いを避けていれば前に進むことはまずないし、停滞でしかありません。現状維持に過ぎないのです。先延ばしをするだけ時間は過ぎていきます。有限な時間は命そのものです。

彼女にそれが伝わっていて、できるだけ早く話し合いをして、その中で成長して、互いの望む地点に着地するようにと願っています。

Text / Sonoko Ikeda