言葉を尽くしても「伝わらない」「どうして伝わらないのか」という気持ちになることがあります。
でもそれは当たり前なのです。なぜなら、それは受け手の感性次第だから。自分はこう感じとってほしいと思っていても、相手は自分ではないので受け取り方が違います。
それがわかれば悶々とした気持ちは軽くなるのではないでしょうか? そもそも別の生き物なのですから。
自分とは物事の受けとり方や認識が違う相手
物事の善悪について、自分の考え方を語ると同調したり反論したり、そこに議論が生まれます。
「私もそう思う!」「仰る通り!」と完全に同調してくれると、言い放った側は、気持ちが良い。そんなケースは滅多にあるわけではなく、何かしらの意見が返ってくるでしょう。
それは受け取った側の「認識」が異なるからです。それぞれに違う理想があります。
仕事のプロジェクトなどゴールが決まっていることであれば別ですが、何らかの趣味趣向やプライベートに近い物事ほど、個人の認識によるズレが生じます。
でもそれは自然なことです。
何割伝われば良しとするか
「伝える」ことに主眼を置いて説明しましたが、1から10まですべて完璧に伝えたいというのは無理な話です。
繰り返しますが、相手の「認識」が自分とは違うからです。伝えたい重要な部分がどこなのか、最終的にそう動いてほしいのか、心の片隅に覚えておいてほしいのか、自分が伝えた事実さえあればいいのか、「伝えたい」ことの濃度によっても訴え方は違うでしょう。
コアな部分を2/10(1/5)くらいとして、受け取り方は人それぞれだよな、と思う方が、心も軽くなるはずです。
加齢によって「認識」が狭まる可能性も
筆者もそうですが、男性が年齢を重ねていくと意固地になる傾向があります。
これまでの社会経験によって蓄積してきたものもありますが、どこか「(社会的地位とは別に)権威性」みたいなものが態度として帯びてくるのでは、というフシがあります。
仕事やプライベート問わず、周りの年齢が下がってくる環境もあるとは思いますが、「これはこういうものだ」と頭ごなしに結論を出してしまう場面はとても怖いものです。
「自分と人は違うもの」と意識していれば、「認識」が違うことも「伝わらない」ことも、ラクに捉えることができるのだと思います。
若い人から教えられるものも多くあります。
いつまでも「どうして伝わらないのか・わかってくれないのか」という心のまま。それは自分が成長できていないということなのかもしれません。
相手の「認識」についてお話ししてきましたが、今一度、自分の「認識」も、「いま自分はこう感じているのか」と俯瞰してみるのも良いと思います。
自分も精進します。
Text / Taichi Akasaka
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